2007年10月18日 官民境道整備作業

 久々に山に行く事となった。
桜曽根まで車で入り、そこから林道跡を藪漕ぎで歩く。林道終点からムジナ沢に下降するのだが、その入り口が解らず、Oさんがヒド状の箇所を見つけ、そこを下ることにした。
途中のトヨ状の所で滑り、手を擦りむいてしまった。軍手を付けていたのでさほど酷くはなっていない。
水は流れていないものの、滝状になっている悪場もあり、捲いて通過する。
30分ほどでムジナ沢に着いた。
そこからムジナ沢左岸尾根に向けて、急登が続く。途中でキノコでもないのかと見渡すが、ナラタケの老菌とオツネンタケ、カノシタなどが見られたのみであった。
尾根に着くと、再び下りそこから作業開始となった。作業を開始したが、鉈目は皆無で森林官が方向と距離をあわせ、A点と石票の位置を確認する。石票のある場所がカンスゲに覆われていて、そこをOさんが使い古しの稲刈りガマで掘ると、お宝のように土の中から石票が出てくるのだ。
その都度、『宝探しのようだ』と言う。特に石票の位置近くに草があったり、土砂が流れたりする可能性がある所には得てして埋まっていることが多い。
2本のブナの木の真ん中を通ると、大石票があった。古いペンキの缶の朽ちたものが落ちていた。ブナの樹皮を見ると熊が最近登ったのであろうか、爪あとが生々しく残っている。
 そこから少し登った所で昼食となった。ずっとここの所運動不足で、野外に出ることが少なく、久々に美味い昼飯を食うことが出来た。
 昼飯を食べて、尾根に取り付いた。この尾根からは夕沢の右岸の尾根が見える。
しばらくは急な悪場の堺道を下る。木に掴まるのが精一杯で、木を切っては掴まる木がなくなってしまうので切ることはできない。
小さな沢に着いた、名前は無い沢であろう。少し登り再び尾根に着いた。ここがおそらくようやく村杉沢の右岸尾根であろうか。
ここで、時間は限度となり、折り返すとOさんは言う。『俺たちは後でゆっくり行くから先に行ってくれ』と言われ、先に沢から急登を登ることにした。
登っては下り、またまた登る。ムジナ沢左岸から右岸に真っ直ぐ行ければいいのだが、とにかく下ってから登らないといけない。
ムジナ沢から下ってきた急なヒドをひたすら登る。無理をして登ったつもりは無いが、ずっと休まずきたので息が上がってきた。立ったままで1分ほど休む。4時15分前に桜曽根の林道跡の終点付近にに着いた。
半藪をモサモサと目一杯飛ばし、桜曽根Pまで15分で来た。
桜曽根駐車場から下越の川地山塊が見えた。このまま、ここでビールでも飲みながら夕焼けを見ていたいと言う気持ちに駆られた。
夕食の準備があるので、そそくさと桜曽根駐車場を後にした。
 もっと、確かなものを心の中に常に留め、ゆったりとした気持ちで、山と対峙し、会話できたならどれだけ幸せであろうかと思った。姑息に山登りや山に入っている自分は、とても厭だ。そんな人間が山に登れば、きっと山も心を開いてくれないであろう。
浅草岳は黒い陰と、眩しい夕暮れの日差しがあった。

熊の爪痕 ムジナ沢左岸尾根の石票
ムジナ沢 旧桜曽根駐車場から浅草岳

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