山遊びおもしろ自然

「自然が大好きです」と答える人は多いと思います。
でも、自然の「どこ」が好きなのでしょう。
自然の中の「植物」が好きな人もいれば、「景色」が好きな人もいます。
自然の中で汗を流し、「達成感」や「開放感」を味わいたい人もいるでしょう。
自然が好きなもの同士の仲間づくりを目的にいろんな集まりに参加されている方もいるでしょう。
このように、人により、自然の楽しみ方には色んな種類があります。
そのどれもが、その人にとって大事ななものなのです。
 また、登山という行為をとってみても、そのジャンルも多岐にわたっています。
「尾根」「沢」「冬山」「岩も・・」「氷」「低山」さらに「山スキー」「テレマーク」「ウオーキング」「トレッキング」
それどころか、釣りやら、カヌーやらにそれぞれにいろんなジャンルが有り、全く見当も付きません。
ただ、そういうジャンルを作る事により、レベルがアップし、事故防止につながる・・という事が言えるのかもしれません。
もっと、そういうジャンルにこだわらないジャンルがあっても良いのではないか?
 そこで大雲沢ヒュッテでも早速そういうジャンルを考えてみました。
歩く途中で、ふと立ち止まり、ミクロの世界を眺めてみる・・そんな観察もできるでしょう。
息を整え、野鳥のさえずりを聞き、判別してみるのも楽しかったりします。
「山遊び」とか・・そんなジャンルが有っても良いのではないかと思います。
 このコーナーでは、自然の中の一部を手にとって眺めてみよう・・・という主旨で作って見ました。
手帳を取り出し、コースタイム記録に精を出すのも良いですが、数字よりも何か変わったものをスケッチしようではありませんか。。
さあ!春夏秋冬、大雲沢的自然の楽しみ方へ、ちょっとお立ち寄りを!!

冬の山
雪国入広瀬にとって、もっとも長い季節・・それは、冬です。
晩秋になり、葉が落ち、北風が吹く11月を迎えれば、もういつ雪が降ってもおかしくない時期となるのです。
一般にはやはり冬は、煙たがられる存在でしょうし、なかなか出にくい季節でもあります。
そんな冬に敢えて外に出てみれば、以外に、その魅力にとり憑かれてしまうのも、これまた事実です。
 私達、山間地に住む人間にとって、カンジキは生活の一部であり、カンジキ歴は数十年と長いわけです。
しかし、雪の普段無い所に住む人達にとって、雪の上を歩くという行為は、まさに新体験ゾーンなのです。
スノーシュー歩き
初めてスノーシューやカンジキをつけて歩き出すと、大体の人は「楽しい」と言います。
それは何故でしょう?
純白の雪に自分の足跡を刻む事。ふかふかの雪の上を歩く事の気持の良い感触。
規制の無い、道の無いところでも、どこでも行けてしまう自由さ。
そして、あたり一面、白と黒の幻想的な景色。
3m以上の大量に蓄積された雪の上を歩く感覚は、夏の尾根歩きでは経験できない楽しさだと言います。
 その分、条件によっては、相当埋まる場合もあります。
一晩に1m近い雪が降る時もありますから、そういう場合は、かなり体力も使いますし、先頭を交代したりしないととても無理なのです。

でも、転んでも痛くないし、転げまわったりしながらイヌのように遊んでいるのも楽しそうです。


雪の形
当たり前の話ですが、雪が有ります。
以外に知られていないのが、雪の結晶を見れるということです。
「防寒着にくっ付いている雪を見てみましょう、雪の結晶が見えますから・・」そんな話をしないと、意外と誰も気づかないものです。
極、小さな物ですが、肉眼でも六角形の規則正しい形が美しくはっきりと見ることが出来ます。
これを家に持ち帰って観賞出来れば良いのですが、一時の瞬間的な美しさが尚一層感動的と言えるのでしょう。


動物の足跡
 
雪山を歩いていると色んな痕跡が確認されます。
動物の足跡です。
入広瀬で見られる動物としては、色々有りますが、雪上に足跡を残す動物としてはホンドリス・キツネ・テン・ノウサギ・ニホンカモシカ・タヌキです。
             
ニホンカモシカ ウサギの足跡

ツキノワグマも雪の上に足跡を残しますが、4月下旬頃の残雪期だけです。
この中でも、よく見ることができるものとしてノウサギがあります

次によくみられるものとして、ニホンカモシカがあります。
当然足跡が見られるということは、その実態も見られるということになります。
昨年度の雪上トレッキングの際にも、実際に御客様の目の前に何度か飛び出したことが有りました。
夜、新雪が降った後の、朝方のカムフラージュ痕が発見できれば、居場所が容易に判断できますが、そうでないと瞬間的に飛び出しますので、注意していないと見逃してしまいます。
天気の良い日には、ニホンカモシカがじっとして佇んでいるのに遭遇する事がよくあります。
 このように、動物達に遭遇できるチャンスが有るのは、冬場の雪の上に限られます。
冬以外でも見れる事がまま有りますが、それはまだ小さい子供のウサギであったり、弱っている個体である場合が多いようです。


冬の樹木
 
「雪上では何も見るものがない」と、嘆いている人おられる方もいるかと思いますが、冬だからこそ、正体を現わす部分もあるのです。
冬だからこそ正体を現わすもの・・・、それは樹木や鳥達、そして山そのものです。
冬の木なんて、葉っぱも花もなく、つまらない・・と言うのが、一般的です。
それに対して、否定はしません。
ただ、肯定して欲しい部分も有るのです。
木を良く見ると、花芽や冬芽を付けて、やがてやってくる春に向けての準備をしています。
気温も零度を下回り、吹雪になれば、更に厳しい条件が襲ってきます。
そんな厳しい状況の中でも、木々はそれに耐え、じっと頑なに春をひたすら待っているのです。
実にいじらしいではありませんか。
          
雪に咲いた花

花芽も冬芽もその芽の下にはしっかりと花を持ち、葉っぱを持っているんです。
 しかし、雪の上に姿を見せる事ができる樹木達は、まだいいのです。
雑木の殆どは、じっと雪の下敷きとなり、ひたすら春を待っているのです。
数mの部厚い雪の下で、半年もの間じっと雪が消えるのを待っている樹木達です。
雪の下になって耐えている樹木たちは、殆どが低木で、一般には雑木と呼ばれる群です。
春になり、雪が解ければ、雑木達も一斉に葉を立ち上げ、栄養を得ます。
しかし、はるか長い時間が経てば、雑木達はブナなどの主だった樹木達に生息地を奪われ、
やがては消えていくものもあります。
では、彼ら雑木達は何の為に生まれ、誰の為に死んでゆくのか?
それは多分、森を守り、ブナなどの大木が気持ち良く生息するための引継ぎの役目をしているのです。早く緑を確保しようと頑張っている地味な役割です。
 1本のブナの大木が風雪などによって倒れれば、そこには一斉に日光が入ってきます。
ブナそのものは、直射日光は好みません。
直射日光大好き樹木が、倒れる早々入ってきます。
山菜採り達の標的の的、タラノキが最初に芽を出します。
その後は、リョウブなどの日光大好き樹木群が入ってくるのです。
そして、先ほど述べた、雪の下で耐えている雑木が生えてくるのです。
 このように、大木が倒れれば、それらの樹木が蔓延り、ブナを守る、そしてまたブナは太り、立派な熟した森林が逐次形成される・・・それを繰り返し、森そのものはどんどん成熟していき、極相林となるのです。
 大木が倒れて、「可愛そうに」という考えが一般的ですが、決してそうではないと言う事を話してやれれば、心も暖かくなると言うものでしょう。
つまり、冬の間でも、森の樹木達は森を守っているということになるのではないかと思います。


冬の鳥
 冬のバードウオッチング、一般的ではありませんが見つけやすい時期でもあります。
勿論、夏鳥達がやってくる季節に較べますと、いささか種類不足では有りますが、なにせ、木々には葉っぱが無いものですから、見易いという部分では他の季節の追随を許さないといった所です。
そうはいっても、やはり双眼鏡くらいは持っていきたいものです。
 冬でも容易に見られる野鳥としては、シジュウカラ・アカゲラ・アオゲラ・コゲラ・エナガなどが良く見られる鳥です。
たまにヤマドリにも遭遇することがあります。
カケスやヒヨドリ達もいるようですね。
ちょっと里寄りには、ジョウビタキやヤマガラなど、この時期にしては多少派手目の鳥もお目見えする時期でもあります。
アカゲラ ヤマセミ

また、鳥の王様、イヌワシもノウサギを求めて大空を徘徊している事も有るので要チェックです。
この時期には、天敵も少なく、子育てや結婚の時期でもなく、比較的警戒心が無いと見え、身近に姿を現わしてくれます。

冬の山の美しさ
冬の山には、夏にはない曲線があります。
のっぺりとして穏やかな曲線が広がり、純白の砂漠のような自由な空間が広がります。
雪が降った朝には、木々の枝に白い雪が積もり、まるで花のように咲いています。
夜に霧が発生し、朝方早くに冷え込むと、木の枝の水滴が凍り、そこに風が吹いたりすると見事な樹氷が形成する事があります。
そして、山々の形は雪が降った事により、より一層形をくっきりとさせ、まるで、山そのものの筋肉が見えてくるようです。
山は、とにかく白い色なのです。
                     
たおやかな曲線美

真っ白で、そこには何も汚れのない、純白の色が果てしなく広がっているのです。
絵で、水墨画が有りますが、本物はそれ以上の美しさであることは言うまでもありません。
 原色の美しさと言いますか、冬の色は心の原点の色?そんな感じに見えませんか?
 
春の山

雪国の春は、3月、4月、5月が春といえるでしょう。入広瀬の3月は時折春らしい陽気に
なることもありますが、まだまだ雪は深く、山々は銀嶺の世界です。
でも、一旦山に行くと、さほど雪も深くなく、ワカンでも十分歩ける季節となります。
この時期には、真冬並みの景色と、春らしい暖かな日差しとが入り混じり、春山をトレッキングする季節の始まりと言ってもよいでしょう。
条件や天候が良ければ、より守門岳や浅草岳、黒姫等のピークに立てるチャンスもでてきます。
 4月に入ると、山は益々春らしい空気になります。相変わらず、雪は有りますが、カンジキを使わず歩けるようになります。
表面の柔らかい雪が解け、中の圧縮された雪が表面に露出してくる為です。
雑木に覆われていた山々は、丸いお月様のようにのっぺりとした形となります。
大きなブナの原生林のあるところでは、ブナ達の枝にびっしりとヤドリギが生え、ひときわその常緑が美しく感じられます。
 地図を持って行けば、おのずと山は雪でびっしりと覆われている為、 山そのものの形がくっきりと解る時期でも有ります。
大量の雪に覆われた山々はとてつもないスケールで圧倒します。
真冬の空からぶちまけられた怒涛のような雪が、とどまる事無く蓄積し、世にも奇妙な地形を作り出します。
 4月に入ると、造作もなくそこにのっぺりと横たわる様は、むしろ造形美と優しさをも感じてしまう質感です。
スキーやスノーボードをやられる方にとっては、まさに美味しい地形が溢れているのです。
大原スキー場でテレマークスキー練習 山スキーでのスナップ
 そしてそこに、太く根強くブナの大木は押し黙り立っているのです。
黙ったままの太い幹を手の平で撫でてみるのです。
その場所に行き、その木を見れば、木に対しそういう感情さえ湧いてくると思います。


旬の味
4月も半ばを過ぎると、山はめっきりと春色が強くなってきます。
マルバマンサクの花は、3月頃から咲き始めますが、その他の花もこの頃から徐々に咲き始めます。
まだ辺りは残雪にたっぷりと覆われていますが、かなり土も見えてくるようになっています。
そんな、土ののぞいた部分に真っ先に花を付けるのがフキノトウです。
日光が比較的当たらない、雪の割れ目のフキノトウは、にょきにょきと背を伸ばし、瑞々しいのです。
そのまま汚れをとって、さっと高温の油で天ぷらにすれば、ほろ苦さが口中に広がり、まさに雪国の雪の重みや天然の味が広がり、至福の時を楽しめます。
                     
山菜料理一部

また、さっと湯がいて水気をとり、酢味噌やフキ味噌を作っても、酒の肴に合いますので、旬の味を心ゆくまで楽しめる一品となります。
 旬の味には、他にもたくさん有りますが、ここではあまり触れないように致しましょう。


春一番の花々
春花を付けるものとして、色んな種類の花が有りますが、「スプリングエフェメラル」(春のはかない命)が代表的です。
種子をばら蒔き、その後は光合成をするでもなく、地上から姿を消してしまう植物達です。
代表的なものとして、キクザキイチゲ・カタクリ・エンゴサク・などがあります。
これらの植物は、比較的標高の低い所でも生息していますので、容易に見られる植物達です。
カタクリは一般的に人気の高い植物ですが、美しさに順位をつけるなら、キクザキイチゲの紫タイプが一番鮮烈だと思います。
花を付けた後、地上から姿を消すが故に、そのはかなさに心打たれるのでしょう。
割と群生しているカタクリに至っては、種子から花を付けるまでに、7年もの歳月を要すると言われています。
イワカガミ キクザキイチゲ
 また、スプリングエフェメラルではありませんが、その他にも色んな美しい花が有ります。
登山道などにいち早く咲く、ショウジョウバカマ・イワカガミ・イワウチワ・ムラサキヤシオツツジ・・・etc。
そんな花の中でも、私個人的に気にいっている花に、タムシバがあります。
コブシの仲間ですが、芳香が強く、ニオイコブシとも言われています。
このタムシバは、アブラチャン、マルバマンサクなどと同じように、花を一番最初に付ける樹木です。
甘い芳香に吸い寄せられるように、登山者達は登っていくのです。
花が終了し、葉が出てくると、木の葉そのものにも強い芳香が得られます。
疲れたとき、木の葉を手で揉み匂いを嗅ぐと、安息香酸のような快いリラックスが得られます。

初夏・夏の山

初夏とか、夏の境目はどこなのか?と考えると、どうもはっきりしません。
ともすると、標高によって区別される部分もあるかもしれませんが、おおむね、5月中旬頃からとなるでしょうか。
守門岳田小屋道分岐のニッコウキスゲ 浅草岳前岳付近の草原

山々はまだ残雪を残していますが、人家の在る付近では雪も消え、緑が萌える頃となります。
あらゆる生き物が活発に活動を始める時期であり、夏鳥たちも渡来してきます。
私達も、田や畑を耕し、収獲に備え自然と共に活動を始める時期でもあります。

野鳥
私の個人的好みですが、この時期の楽しみは野鳥ウオッチングがあります。
夏鳥達がやってくるこの時期は、まさに野鳥図鑑に巡り合うようです。
新緑になる頃、家の近くの柳の梢でもオオルリがやってきて綺麗な青色を披露してくれます。
守門岳の最初の急登を息を切らしながら登って行くと、クロツグミ達の妖艶な囀りが聞こえてきたりします。
真冬のバードウオッチングも素晴らしいですが、この時期は色んなさえずりと、野鳥の種類の多さが楽しめます。
ただ、この時期の欠点は、野鳥そのものの体が見え難いという事が言えます。
珍しい鳥に会えたりすると、その日の山行きは実に心に残る山行きとなります。
 割と人懐こく(特別そんな性格をしているわけではない・・・)近くで見れるものに、ウソがいます。
フィー、フィーとまるで人間が口笛を吹く音に似ている音にギクッとすることがありました。
                                    
ウソ

その音を目で辿ると、オスは意外に美しく、ピンク色が混じった大ぶりの鳥でした。
 このように、鳥に興味を持つと、コースタイムが1.5倍掛かるでしょうね。
出会いたい花に会えるチャンスは有りますが、野鳥に関しては偶然会うというケースが多いですね。
ですから、それだけに記憶に残る山旅と言えるでしょう。

花の季節
やっぱり、この時期花がメインとなるようです。
特に、この入広瀬村の花として特定されているヒメサユリがメジャーな花となります。
一般にヒメサユリは、新潟県・福島県・宮城県・山形県など、限られた地域にしか存在しません。
ですから、そういう部分では貴重な花であるといえます。
山岳地域で、飯豊連峰のヒメサユリが有名ですが、この山域には限られた人しか入れない山域です。
新潟では比較的低山や、中級山岳地帯でも一般的に見られ、ここ入広瀬の守門岳や浅草岳でも多く見られます。
このヒメサユリの詳しい生息場所などに付いては、このホームページの浅草岳や守門岳のコーナーで
詳しく述べていますので、そちらを参考にして頂きたいと思います。
 2002年頃、このヒメサユリと言う花がどのくらいの時間咲いているかと言う調査をしたんですが、
およそ、花が枯れるまで1週間ほど、といったところです。
浅草岳登山を例にすると、ほぼ1ヵ月半の間、ヒメサユリが楽しめるといっても良いと思います。
6月中旬には、早い箇所(ネズモチ平ら登山道)は咲き始め、次に6月中旬〜7月初旬まで(鬼が面山縦走コース)、次に6月下旬〜7月下旬(桜曽根コース)と言った具合に時期を選定し楽しめるのです。
 
奇妙なモノ
生命が活発に活動してくると、「なんだ、これっ!」という面白いモノが現われ始めます。
私達は、山に行くと美しい景色や、美しい花、綺麗なさえずりの野鳥など、やはり美しいものに心奪われます。
しかし、その変なモノは、色んな形で美しいモノとの繋がりがあるという事を認識してほしいと思います。
綺麗なモノは綺麗なだけではなく、そこに理由がある・・・ということなんですね。
 初夏、気持の良いブナの新緑の登山道を歩いていると、何やらフワリフワリと透明な糸でぶら下がっているモノに遭遇します。
シャクガの幼虫です。もちろん、嫌われ者です。
事実、私も彼らがピトッと背中にくっ付いたりすると、びっくりして声を張りあげてしまいます。
多分、冬の間中、土の中で春になるまでじっと卵のままで越冬し卵を破り、新緑のブナの葉目掛けてひたすら上まで攀じ登っていくのでしょう。
皆一斉に攀じ登り、ブナの樹冠では、賑やかな葉っぱを食べる音が聞こえてくるようです。
そのシャクガの幼虫が、自分の食べる場所の葉っぱを食い尽くすと、別の葉っぱに移動するのですが、その際に樹冠から糸でぶら下がり、風が吹くのを待っているのだそうです。
勿論、そこを通る人間達の背中に掴まっての移動もありえるわけです。
何年かに1度、そのシャクガの大発生を見る事があります。
樹冠を見上げると、ブナの葉っぱは大分食い尽くされ、かなりスカスカ状態であったこともありました。
毎年のように、こんなに大発生してしまえば終いには、ブナの木は枯れてしまいます。
 そこで、神様はそれでは困ると、方法を考えたのです。
彼らのサナギ達が土中に居る時に、サナギから直接キノコを生やし、シャクガのサナギを間引く事を計画しました。
御存知の冬虫夏草です。大量発生したシャクガなどの数を調整する為の対策が自然的に発生するのです。
このように、心配には及ばず、色んな調整がなされ、自然生態系のバランスがとれているのです。
今でも、色んな生態系が徐々に崩れかかってはいますが、そんな中でも新たな全く新しい自然界の「調整」が発生し始めているのかもしれません。
 このような昆虫類は、一般的に、特に女性の方には気味悪がられる対象であろうかと思います。
無理矢理、これは自然界の為に大変役に立っているのだ・・などと、強制的にモノを語る必要も無いかとは思います。
しかし、それだからこそ、ほんの少しの理解があれば、より一層、植物が好きな人はそれを楽しみ,野鳥が好きな人は更に感動を受ける事ができるのではないかと思うのです。
 そんな虫達の中でも、ロマンさえ感じさせてくれるモノも在ります。
登山道を歩いていると、葉っぱが綺麗に織り込まれ、見事な筒状の入れ物が沢山落ちています。
オトシブミの仲間で、中に小さな小さな卵が1個入っているのです。
オトシブミ自体、何らかの形で越冬し、春一番の新緑の葉っぱが未だ柔らかい時期を狙って作るのです。
誰に習ったわけでもないのに、全く見事なモノです。
そういうものに感心したり、花に感心したり、野鳥を発見したりと、割と山のてっぺんまで行くのに時間が掛かってしまうのが常ですね。

意外に心奪われるきれいなモノ
と言いつつも、相当主観が入っている事をご承知下さい。
やはり、基本的に感じることなのですが、山登りをやる方(特に)などは楽しみ方がスタンダード過ぎるのではないか?と、思うのです。
昨今、旅行会社においても、山登りと言うハードな部分のみならずフラワートレッキングだとか、エコツアーなど、観点を変えてのプランが多いような気がします。
○○岳特産の○○草とか、いろいろと珍しい植物を観賞するツアーなども行われてようです。
山好きな人の紀行文などを見ると、蝶の○○ヒカゲに会えた・・とか、そういうコメントも有るには有りますが、比較的希です。
殆どが、植物に関するコメントのみです。
確かに、植物は相手が動きませんから、有れば誰でも見ることが可能です。
その点、野鳥などの動物は、必ずそこにじっとしているわけではありませんから、がっかりするケースも出てくるわけです。
 ただ、山に行く時には花のみでなく、「花が駄目なら、あの鳥が居るさ」とか、「鳥が駄目なら、あの蝶やトンボが居るさ」と言った具合に、目標を沢山持って行けば、それだけがっかりすることもないのではないかと思うのです。

 虫達にも大いに目線を向けてみて下さい。
冒頭で書きましたように、主観的になりますが、色合い的には相当美しい虫が居ます。
トンボ・・・とくに、イトトンボの仲間が繊細で、シャープでスレンダーなボディーは素晴らしいと思います。
また、トンボの格闘家、ヤンマの中でもオオルリボシヤンマ、これもでかいが美しいのです。
蝶の中では、シジミチョウ(別名ゼフィルス)も美しいです。
カラスアゲハなども美しいと思います。
春のコーナーで書き忘れましたが、ギフチョウなども早春に見られ、これもきれいな蝶です。

それと、夏と言えばやっぱり、セミの声・・・ホタル・・カブトムシ・・でしょうか?
子供達の憧れの生き物といってもいいでしょうね。
セミは美的対象とはちょっと違うかと思いますが、セミの場合は日本人の風情と言いますか、虎さんの映画に必ずといって良い程出て来る効果音のような、皆が懐かしさを覚える音ではないかとさえ思います。
不思議な物で、日中、ミンミンゼミが鳴いている最中は汗が出ていますが、夕方頃ヒグラシが鳴き始めると、何故か汗が引っ込んでしまうとか、そういう風情があるんですね。
 昨今は、デジカメとか、デジタルな機材での山行きが圧倒的に多くなっていますが、スケッチブック片手にスケッチをしたり、俳句や短歌を捻ったり、詩の題材を考えたり・・など、そういうアナログ的な楽しみ方もあって良いのではないかと思うことがあります。
 ホタルも昔に比べ、農地整備も行われ、少なくなってきましたが、一時よりは徐々に増え始めているようです。
夜は、缶ビール片手に、ホタルの光や、星を眺め、川のせせらぎを聴きながら、山旅の疲れを癒す、こころじ良い一時と言えるでしょうね。
そんな自然の楽しみ方もあるという事でしょう。更に夏から秋にかけては、そこにコオロギやキリギリスの合唱が加われば、尚の事風情があろうはずです。

秋・晩秋の山

キノコ
クリタケ ナラタケ

まさに、秋は実りの秋と言えます。
私に住む、この入広瀬大白川も御多分に漏れず、高級ブレンド米、「魚沼コシヒカリ」の産地でもあります。
これと言って、特産の産物も無い中、この米においては、全国的に高い評判を得ています。
その忙しい刈取りの盛りに、気になる存在がキノコです。
キノコは一般的に、秋のもの、というイメージが有りますが、その実、春から秋までそこそこ見ることが出来ます。
しかし、寒暖の差や湿度が一定条件に至ると、一斉にキノコが生えてくるのです。
ですから、キノコの本来のシーズンは、9月の下旬〜11月の中旬位という事になるでしょう。
 私が、自然界の事に興味を持ち始めたのが、20数年前、その時の取っ掛かりがキノコの世界でした。
キノコ採りの面白さは、その「偶然」さにあると思います。
山菜は、少なからず、ある一定の場所に行けば、何かしらの山菜は採取できますが、キノコに関してはそれが実に難しいのです。
山菜採りも地形を読まなければなりませんが、このキノコに至っては特にそれが言えます。
「山に入っても、キノコは無い場合が多い」という事です。
だからこそ、キノコを発見した時の喜びは尋常ではないのです。
落ち葉の上に、群生して、ニョキニョキと生えている様は、それそれは奇妙な物体に見え、親父の禿げ頭のような形・・・それが尚一層、愛着が湧いてくるんですね。
それを自宅に持ち帰り、料理して楽しむ、更に、それが食べた事がない種で有ったりすると、結構スリリングだったりするわけです。
キノコの美味さは、何と言っても歯ごたえと香りだと思います。
葉に適度な抵抗を与えてくれる肉質の硬度、歯切れの良さだったりするわけですが、それに加え、長い年月をかけて育まれた腐葉土の香り。
この食物が、菌だって言うんですから、これまた妙な気持になってしまいますし、それが逆に魅力的な耐え難い美味さになっているのでしょう。
何でこれだけ、人間達は、このキノコ採りに魅せられていくのか、今だ解りません。
 とにかく、草でもなければ木でもない、はてまた動いている生き物でもない・・・でも、何か、愛嬌のある形と『木の子』だっていう話。
やっぱり、人間は変なものに魅せられていくんでしょうかねぇ。

木の実
キノコに比べると、いささか伏兵的な存在ではありますが、木の実の中でも美しいもの、美味しいものがあるのです。
美しいものとして、オオカメノキ・ムラサキシキブ・サワフタギ・がお薦めです。
オオカメノキ(ムシカリ)はスタンダードな樹木です。
ムラサキシキブやサワフタギも特別珍しい樹木では有りませんが、とにかく色合いが鮮烈である事に間違いはありません。
オオカメノキ ツノハシバミ

ネイチャーガイドをしていると、必ずサワフタギの美しさに足を止める人が居ます。
 美味しい物としては、ブナの実・サルナシ・ツノハシバミなどがあるでしょう。
特に、このサルナシは、キュイフルーツに味がそっくりで、糖度はナンバーワンではないかと思います。
種は異なりますが、同じ仲間の中国産のサルナシを改良して作られたのが、キュイフルーツであると言われています。
ツノハシバミは日本版ヘーゼルナッツです。

秋の花
秋に花を付ける植物も有りますが、比較的時期も時期だけに目立ちません。
本当にかわいそうだと思います。
特にミゾソバなどは、道端に群生して美しいピンクの花を付けているにも関わらず、誰一人として車を停め、シャッターを押す人も居ない有様です。
その一方で、人工的に作られた蕎麦畑の花の群生の写真が飾られていたりすると、尚更ミゾソバが不憫に思えてくるのです。
                 
ミゾソバ ミヤマママコナ
 その他にも個人的趣味として、キツリフネやノコンギク、キバナアキギリなど、気にいっている植物です。
このキバナアキギリ、大変ユニークな技を持っているのです。
彼らの花に蜂がやってきます。蜂は花の中に潜り込んで蜜や花粉を調達しにやってくるんですが、蜂が花の内部に入る時に、キバナアキギリの花弁の一部のオシベが棍棒化していて、その棍棒オシベが蜂の腹の脇をギュッと触るような設計になっているのです。
全く、よく手の込んだ花を作っているなぁ〜っと思わず感心させられます。
 こんな事例は、自然界のほんの氷山の一角といえるものですし、他にももっともっと驚愕の世界は存在するのです。

紅葉
秋の定番といえば、やはり紅葉でしょう。
「紅葉の時期はいつ頃が良いでしょうか?」など、お客様からの電話はよく来ます。
考えてみると、紅葉というのは、いろんな色合いがあるから美しいと言えると思うのです。
仮に紅葉が、前部赤だったとしたら、全部黄色だったとしたら、美しいとはいえないと思うのです。
未だ緑の部分もあり、黄色もあり、白っぽい黄色もあり、ワイン色や、赤もある、中には既に茶色っぽくなってしまった物もある。
そういった、色んな色がモザイク状に絡み合っているから、「美しい」となるわけです。
 私が紅葉が綺麗であると思う理由の一つに、その色合いが立体的であるということです。
紅葉の時期ともなれば、多少なりとも落ちた葉っぱもあるわけです。
樹木そのものがある一定の葉量を既に減らし、木そのものの葉を含めた体積が減少しているのです。
それにより、樹木全体が緑に覆われた時代には無い空間が生まれるのです。
その空間の隙間に秋らしい、神々しい果てしなく澄み切った空気のようなものが存在するような気がします。
そして、その背後には、更に別の樹木の紅葉があり、それらはまた、別の空気の空間を形成しているのです。

ですから、イメージの中の美しさとでもいいましょうか、そんな美しさを私は見出しています。
 新緑も大変美しいのですが、それは美しいというよりも、「バイタリティ」だとか、エネルギッシュ」だとか、生きる生命力のような活動的な美しさであると思います。
そこには、人間が生きていく上での希望や、期待、ピジョン等のいかにも前向きな要素があるといっても良いでしょう。
一方、紅葉の美しさは、破滅的な美しさと言いますか、散りゆく美しさのような気がします。
それは、例えば、あと1年の別れの時の一抹の寂しさゆえに、そのものが美しく感じられるという一種、センチメンタルな美しさかもしれません。
言わば、花を見て、素直にその色合いに感動する美しさではなく、そこに自分の感情を移入しているからこそ、紅葉が尚の事美しくなるのかもしれませんね。

晩秋の緑の森
晩秋になると、森の中には葉っぱが無く、枯れた景色だけが目立つようになります。
その中で緑を保っているものとして、ユキツバキ・チシマザサなどがあります。
その他には、シダ類やコケ類、があります。
私達の中でも、これらの植物に詳しい人は希で、そういう部分ではいかにもマニアックという感じがします。
一般には、それらの植物は体そのものが小さい為に、尚の事目立つ事がありません。
しかし、いかにもその世界は不思議な模様に満たされ、世にも奇妙な世界をかもし出しているのです。
それがマニアックであろうが、何であろうが美しい世界である事に変わりはありません。
とにかく、緑の無いこの時期、あなたの周りにもコケはある筈です。
それを見てみてください、本当に美しい世界が広がっています。

あ、如何でしたでしょうか?
自然の面白さが少しはお解りいただけたでしょうか?
「こんなに見にくい文章で書かれても読む気にならない」と言われる方もいらっしゃるでしょう。
でも、こんな文章の一部でも皆さんの頭の中に一行でも印象に残るものがあれば良いかと思っています。
今まで書いたものは、本当に氷山の一角に過ぎません。
まだまだ楽しい事、面白い現象や、感動するもの・・・など、沢山沢山あります。
ほんのさわりの部分でしたが、これから皆さんの山行きや山遊びのヒントになればと思います。
ご希望があれば、自然の薀蓄案内、やらせていただきます。

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