2010年6月25日 八十里越え

 八十里越え、私にとって何度目となるのだろう。数々の八十里越えの山旅が記憶に蘇ってくる。6年前の吉ヶ平への道路が水害で大決壊し山道は荒廃し、何度となく目印付けに通い、自らも薮を彷徨ったりしてきた。エスケープルートの確認と言う意味も含め、丸倉方面へと偵察に行ったこともあった。吉ヶ平と言う名前ももう自分の身の一部のような気さえしてくる。
 
 今回は、昨年いらっしゃったお客様がお仲間を連れてお越しいただき、大雲沢ヒュッテのイベント外の八十里越えであった。女性3名の方で、皆それぞれに自然界に興味を持たれている方であったり、山の経験に長けた方である。
 吉ヶ平に至る林道横にはシモツケソウがひっそりと花をつけていた。吉ヶ平山荘の前には車が1台横付けしてある。
 墓地跡まで車を乗り入れ、そこで我々は車から降り出発する。いつもならこの時期は刈り払いを行っているところだが、今年は未だ手が入っていないようだ。山菜採りなのであろうか、夥しい踏み跡が薮に分け入っている。ここをうっかり跡を付いて行こうものなら、たちまち道迷いを生ずるだろう。10回以上も八十里を踏破している私でさえ、はて?と一瞬迷い所もあった。
 椿尾根には予定通り小1時間で到着した。いたるところからハルゼミ・エゾハルゼミの大合唱が響き凄惨な雑音にさえ聞こえてくる。ハルゼミの声は嫌いだ。
 近くで、オオルリとキビタキがさほど離れていないところで鳴いており、この聞きなしを少しお客様に話す。ただ、鳥の聞き無しは難しく、しかも超がつくほど地味な行為であり、よほど興味が無い限り覚えることは難しい。このほか、アカショウビンなども鳴いていたが、これはやはり噂の鳥と言うことでかなり興味をもたれたようであった。
 番屋乗り越しも、ほぼ予定通りの時間で着いた。火薬跡を過ぎると、いつもの平らなブナの原生林に着き、ブナの素晴らしさを堪能してもらう。
 時折、林床にコケイランやギンランがあり、楽しませてくれた。
 高清水沢には十分な水が流れており、大休止をする。何処に行ってもハルゼミの鳴き声がうるさい。ブユは雪が殆ど無くなったためかあまり見られなかったが、メマトイが決死の目玉ダイブを試み目の周辺を飛び回るのにはいらいらする。メマトイはただ単に本能のみで動いている、それが悲しくも写るがやはり憎悪が湧いてくる。
 空堀、丸倉分岐、殿様清水と徐々にじんわりとへつりながら高度を稼ぐのだが、暑さが利き、一番厭らしい歩きである。かなり疲労困憊してくるのがわかる。
 我慢を重ね、ようやく鞍掛峠に到着。歩いてきた軌跡はどんよりとして見え、説明する気力も起こらない。案内役の私でさえも相当響いたここまでの歩きであった。
 番屋乗り越しから少しづつ、予定の休憩時間が食い込んで来ており、予定の着時間が約小1時間近く遅れると思われた。
 鞍掛峠から少し歩いたところにタケノコが道端近くに出ていたので、それを採る。ふと前方の物音に気がつくと、猿の群れが木を渡ったりして活動していた。きょろりとこちらを向いて仕方なしに逃げていると言う風である。しばらく行くとタケノコの皮を剥いたような痕があちこちにあり、これが目当てだったんだなと思う。タケノコの皮を剥いて食べるのは人間と猿くらいのものであろう。
 田代平を巡り、黒姫と守門岳袴腰を見る。つい先頃までミズバショウが咲いていたと聞く。先月8日にはまだ残雪がびっしりとあり、ブナもまだ若葉さえ出ていなかった。季節は一体何処まで続くのだろう、人がモノを想うその先まで、遥か永遠に続くのであろう。

 福島県側は淡々とした道が続き、我慢の歩きが続く。道の脇にはブナの巨木があり、至る所に刃物で掘られた文字が並んでいる。古いものは文字が何を書いてあるのかさえ解らないものもある。
 午後4時に大麻平車道に着く。この日に至っては疲労度が強く、長く感じられた。車道を延々と歩くこと1時間、ゲートの所で平井氏が待っていてくれた。道があるのに、通れない、しかも入れる車は普通に通行している、これが理不尽と言わないで何と言おうか。危険の無いところだけでも、開放して欲しいものである。ゲートをもっと置くまで伸ばして欲しい。

吉ヶ平墓地6:05 椿尾根6:55 発7:10 山ノ神7:55 番屋乗り越し8:10 発8:20 高清水沢9:40 発10:00 
鞍掛峠11:05 発11:25 田代平12:25 木の根峠12:55 発13:10 松ヶ崎13:55 発14:00 化け物谷地14:50
発15:00 車道大麻平16:00 国道車立ち入り禁止ゲート16:55

田代平より黒姫と守門岳
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