2010年3月8日 ネズモチ平駐車場

 辛うじて野兎駆除期間であり、ベテランMさんとネズモチ方面へ向かうこととした。
旧ホテル大自然館に着くと、すでにMさんはカンジキを着け歩き出すところであった。私も車を止め、早々に身支度し歩き出す。昨晩の雪は5pほどしか降っていないがウサギの足跡は明瞭に解るはずである。
 車道の途中でMさんに追いついた。『足跡がねぇなぁ』と言う。足跡は確かにあるのだが、同じウサギが行ったり来たりしたりすれば足跡の本数はそこそこ増えるのだが、さほど多いわけではなくつまり絶対数居ないと言うことに他ならない。ちょうど良い機会なので、質問してみた。「良い跡付けったなぁ」と言う意味が良く解らないのだが、どういうことなのだと私が聞くと、『早く泊まりたがっている跡だ』と言う。ウサギが一夜を明かす寝床を確保する時、俗名『てんくらがえし』(足跡が途中で途切れるカムフラージュ痕)を残し近くの木の袂逃げ込むのであるが、そのてんくらがえしを打つ前に右往左往するのだ。行ってみれば『何処にしようかなぁ』とお悩み痕でもある。『足が開くんだ』と言う。通常ウサギの足跡はT字を呈する。Tの横棒が後ろ足となるわけだが、これが一直線にならずだらっとした感じになるのであろう。そのことがずっと気になっていたのだが、解消されただけでも良い日であった。
 通称じんけん坂と呼ばれるところから登るものと思っていたが、Mさん曰く、ここはこの間俺が行って来たのだがまるで足跡はなかった、と暗に行く必要無しの思いを言う。エコミュージアムの付近は居る可能性があるとの事で、エコの周辺まで車道歩きをすることにした。昨年ネズモチ平に猟に来たのは、1月の後半だった。今は3月である、雪の量はもちろん比較の対象ではないが、やはり昔に較べれば数段少ないと感じる。
 エコミュージアムの園内を横断する小さな小沢があり、それが右沢に注いでいる。その吐き出し口から少し登りエコミュージアムの本館前に出た。やっぱり雪は少ない、とMさんは言う。ここでようやくMさんは銃の準備をし、二手に分かれて歩き出した。特に捲いて行く事もないと言うので、私は白崩沢右岸方面へと好きな場所目掛けて行くことにした。野鳥観察小屋の近くで、一匹のウサギを発見し撃つが致命的でなかったのか寝ていた木の穴の中に入ってしまった。かなり深そうなので、帰りに獲っていこうと思い、手で穴の外部を雪で埋めた。その後も、ウサギの姿も見ることがなかった。白崩沢の源頭部でもウサギの足跡はあるのだが、痕跡はない。上に登ると展望台脇の沢に合流し、やがてネズモチ平の駐車場に着いた。管理棟の上屋は十分見えており、やはり雪はそう多くはなかったと言うことになろう。管理棟や桜曽根などを画像に収め、右沢の源流(本沢)を眺めながら猟をする。かなり早い時期からウサギは雪を歩く時のざくれ音を感じるのか早めに飛び出すようで、幾つかの飛び出し痕は少しあるようだ。三角点823m近くでMさんと合流、昼飯を食べる。Mさんもやはり居ないと言う。
 車道を歩いて帰ってもし様がないので、エコミュージアムに再び戻り、埋めたウサギを拾って行こうと言う。823mからあまりはっきりしない尾根をエコに向けて下り、Mさんは道路に近い部分を歩き、一応二人で捲きながら下る格好となる。ウサギが泊まる雰囲気のある地形や足跡はそこそこあったが、全く脈無しで申し合わせの場所にMさんが先に着いた。『おおい、鷹がウサギを食ってしまったぞ』と言う。言って見ると確かにウサギを蹂躙し血があちこちに散らばり、ウサギの毛が散乱していた。だが、私が埋めた穴は全くそのまんまである。『これは別の所からもってきてここで落としてしまったんだろう』と結論付ける。木の袂を手で掘るとウサギが居た。深い穴で手が届かず、カンジキを外してスコップ代わりにし掘り進んだ。ようやく閉塞感のある穴に、上半身まるまる入り込んでウサギの耳を引っ張り表に出した。かなり致命的だったが、内蔵はやられていなく留め矢する。さらに二人で狭い範囲を捲きながらも下るがまったく気もない。白崩橋の所までしつこく撒くが結局徒労に終わってしまった。
 単独で行っても、やはり徒労に終わっていただろう、しかしMさんと歩くことによって色んな地形がわかり、勉強になる。入広瀬猟友会の中でも熊狩りのリーダーを努め、山に長けている大ベテランの山歩きや経験は何をも勝るお手本である。

管理棟、駐車場
桜曽根

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