2009年11月24日 点の記名『黒又』780m

 所用を終わらせ、早飯を食いシロと正午過ぎに家を出る。黒又第一ダムの左から小沢林道へと車を走らせる。ちなみに当地区ではこの小沢のことを『kozou』と訛って言う。くにゃくにゃした道が続きガードロープも無いので、うっかりハンドルをミスすればダム湖へドボンだ。
 最終地点まで車を乗り入れる。シロは相変わらず鼻を濡らし猟欲満点だ。
 放り込んだだけのザックに必要な物を叩き込み、12:40に車を出発した。歩き始めると我々の気配に感づいたのか、カワアイサ・コガモ・マガモ・カルガモなどがグループ毎に飛び立ち、全部で100羽以上は居たのではなかろうかと想像する。こんな時に鉄砲を持ってきて居れば・・・と嘆くが、落としても広いダム湖なので回収不能となる可能性大である。
 点の記『黒又』は、黒又第一ダム右岸沿いに小沢林道が続き、地理院図『須原』では土崩山東2kmのピークを指す。このピークを担当したのは平井氏で、おそらく彼が山先をしたものと思うが、ルート取りは常套な計画だったと思う。
小沢源流の597東の湾曲尾根を用いた事は良いと判断する。むかし、何かの調査が行われたようで、プラスチックの杭が一本そこらへんに転がっていた。作業で大分前にこの尾根を用いた業者も居たのであろうか。
 取り付きの尾根は素直だった。取り付き部の尾根の方向は南向きであったが、徐々に南西方向へと進路を変える。597〜『黒又』780の尾根(主稜線)へ向けて伸びている。主稜線の100m手前に大きな岩の塊が見えた。そこに遠くからでも残置ロープが認められる。噂では、人夫が2名ほど危険なので帰ったと言われた場所らしい。しっかりとした足場や鎖があれば荒沢岳クラスだが、ロープを設置する前では恐怖で動けない人夫さんも居たとしても不思議ではない。結局、ロープ゚の箇所は三箇所に及び、29点中最も難所だった点であろう。
 最も急なロープ場から少し登ると主稜線に飛び出た。主稜線からは快適な松尾根が続き、いくらも歩かないうちに山頂へと至れた。ロープで60度ほどの斜面で、シロは登れないと必死に吼えていたが無視していた。登れる箇所は他にもあったし、どうしても岩場を登ってくる必要はなかったのである。主稜線直下でシロが上がってくるのを確認していた。
 頂上の眺めは素晴らしかった。特に越後三山付近がよく見えた。
 帰りは私もシロも危険箇所では慣れたようで、特に恐怖感もなく下れた。
小沢林道終点12:40  小沢渡渉13:00  主稜線13:45  点の記『黒又』780m着14:00  同発14:15  小沢渡渉14:50
小沢林道終点15:15  計2:35

唐松山 権現堂山 エチ駒
点としろ 守門
黒又第一ダム 桧岳
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