2009年11月23日 あおり山(758m)・繁松山(658m)『須原』参照

 松川林道奥俎板沢手前に8時にAさんと待ち合わせていた。8時少しに前に着くとAさんは既に軽トラの中で待機していた。
挨拶をし、Aさんにある提案をした。同じような山をいちいち下山し再び登り返すのはやめて、あおり山から繁松山を縦走しようと持ちかけた。Aさんは直ぐに同意してくれ、繁松山の入り口と思われる所にAさんの軽トラを停め、再びあおり山入り口に向かった。
あおり山の入り口は、上たかのす沢南に位置する510.2p破線の西の林道急カーブ付近が入り口となっていた。ちなみに510.2pへの破線を表す道は現実にはもう少し俎板沢寄りにある。
 あおり山の入り口は大きな杉の木があり、幾本かの杖が置かれており、ピンクのテープが結んである。渡渉し山道に入るが、しっかりとした元道が残っていた。
最初は直登気味に登っていくが、やがて鼻毛沢の右手の尾根と思われる尾根を登っていく。尾根からの道はやがてあおり山方向へのへつり道となる。へつり道が終わると杉の植林地となり、炭焼き窯の跡などがあった。ススキに覆われた植林地は踏み跡が解りずらいが、ピンクのテープが付けられ問題はない。植林地は結局あおり山と繁松山間の稜線まで続いていた。
あおり山直下までは杉の植林地であり、ススキが繁茂するいやらしい山らしくない道が続いた。杉が終わると尾根道が立派になり、あおり山への急登が始まった。ミニ荒沢岳のような地形の道が続き、業者が取り付けた太いロープを頼って登る。このルートは古くからあるらしく、ところどころ『国調』の金属杭が打たれている。そういえば高鼻山から唐松山への稜線にもあった気がする。
あおり山山頂は広くなっていて、かつて色々踏査が行われたようである。
昨日登った土崩山山塊も素晴らしく、上権現堂山も手にとる様に大きい。
 繁松山への薮道がどういう状態なのか全く解らなかったので、15分ほどの休憩後あおり山を出る。直下の急登は尾てい骨がむずむずする。これは人間が昔猿人だった頃の名残りの感覚なのだとか。
元来た道を戻り、尾根に着く。そこからは一応薮だが、やはりここも古い鉈目や鋸跡があり、『国調』杭が定間隔に存在していた。藪というよりも半薮、元道の部類である。よってどんどん歩くことができるレベルである。途中、杉の植林地に遮られ、ススキが繁茂している箇所があり、そこは少し薮っぽくなった程度である。
ほぼ、地形図を把握しながら来ているつもりであったが、距離感が掴めず繁松山直下付近での昼休憩となってしまった。繁松山には、今まで見たこともない丸い三角点があった。
繁松山からさらに尾根は北西に下降し、573を経由し、北東方向226方面へと下降していた。降り口は予想通り、砂防ダムの所へと下降していた。
4:20の短いプチ縦走であったが、途中でヒラタケをたっぷり採る事も出来、Aさんと山分けしたりし、充実の2日間であった。商売には直接影響はないが、こういう楽しい個人山行き企画も今後どんどん行うことが出来れば楽しみも増すであろう。

あおり山入り口8:20  あおり山9:50  あおり山発10:10  図根三角点650p?10:40  繁松山11:25
繁松山発11:35  570p12:00  繁松山入り口砂防ダム12:40

あおり山から土崩山 あおり山から上権現堂山
繁松山の丸い三角点 繁松山から唐松山
繁松山から権現堂山稜線 繁松山ゴール砂防ダム
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