2009年9月2日 前毛猛山

 年に何度か神奈川から来ていただいているお客様Iさんと、7時に浅草岳六十里登山口を出る。およそ20分ほどで県境JCに着く。用を足したりし、7時30分に前毛猛山へ向けて出発。前毛猛山への入り口は至るところに目印があり、割りと苦もなく行けるのではあるまいかと言う気がした。
 このJCから前毛猛山へは行っていない。しかし、下りは2回ほど使っていた。共にさほど苦もなく下った記憶がある。何しろ解りずらい箇所には細かくテープが捲かれていた。
 目印は、雨量観測所の小さな無人鉄筋コンクリートの建物の所で無くなった。少し薮の中に入ってみるが、今まであった筈の目印テープは全く見当たらない。しばらく薮を彷徨うように、徘徊する。徘徊しつつ目印を付けたりし、何ともはっきりしない。おまけにガスで視界が悪く、左右の明るさで傾斜が解る程度の悪条件でモチベーションは低下の一途を辿っていた。
 Iさんは、何処で如何舵を切ったのか、所謂マニアック登山と言うものに嵌りつつあるようだ。会社の経営者であるIさんは自分の潜在的なものを探っているのであろうか、いや、ただのモノ好き親父なのかもしれない。
 薮が濃く目印だけではあまり効果が無く、ある程度のところから鉈目を開始した。正しい行為ではないだろうが地球温暖化の二酸化炭素吸収には反って良いかもしれない。
 962を過ぎると、やや尾根は痩せてきた。しかし薮は尋常ではない。ただ、この稜線からほんの薄っすらだが相当古い踏み跡が現れだした。前毛猛山から毛猛山の途中に、昔銅山があり、その山道があったと言う説もあるようだ。また、ワンゲル全盛時にはこの辺も藪ルートであったことも考えられる。加えて、この10年以内の鉈目もあり、前毛猛から毛猛を目指した猛者もいたのであろう。
 とにかく、いつのものかも解らぬ遺産のような踏み跡を頼りに進んでいくが、やはり解らず鉈目・目印・と繰り返し、進むよりもそっちの作業が優先となってしまっていた。
 1047までもかなり長いと感じたが、さらにその先も一筋縄ではいかなかった。大鳥沢から登れば、割とシンプルに至れるのだが悪場もある。今回はこのルートでいくことに意義があった。
 4時間50分、前毛猛山に着いた。これは作業中心の山行きであるからゆえの時間であり、さほどあてにはならない。ただ、帰りのことも考慮すれば、目印や多少の鉈目は必須であり、有雪期のようにはいかない。
 山頂は6年前と較べると、チシマザサが入り、かろうじて三角点の広場になっているものの、随分以前に較べると狭くなっていた。
 昼食を摂り、20分ほどで山頂を後にした。登りと下りの妙。これは薮山では良くあることで、登ったルートが下る時に解らなくなってしまうのだ。これらは得てして、目印オンリー、或いは鉈目オンリーになった時に発生する。鉈目を付けないとするならば、目印は厭と言うほど付けるのが正解。
 下山中962手前の尾根でまったりする。視界もよくなり、前毛猛のピークも鮮やかである。
 休憩後962までは意外に長かった。さらに962から登山道までは殆ど鉈目も入れず、おまけに目印の感覚が広い。さらに、木の混んでいない所を狙ってコース取りしたので、直線ではなく目印発見が遅れた・・・など等の理由で下山がさらに時間を費やした。
 六十里越登山口には5時半頃の着となった。

途中の稜線から田子倉湖 薮三昧
途中の尾根、薄い薮もあった 山頂のIさん
山頂付近の薮 再び田子倉湖
962はもう直ぐだけど遠かった 前毛猛稜線を振り返る
六十里越登山道より前毛猛山を振り返る

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