10月28日 ネズモチ平より浅草岳ピストン

 来週もう1回ネズモチ平管理棟の掃除をすれば今年の清掃仕事は終了する。『後1回に迫ってきたなぁ』と思いに耽りながらネズモチ平に向かった。

 ---本当は浅草岳じゃないだろう---というのが本音だ。つまり、自分は大原で生まれ、ずっとジャクズレガッチ(下黒姫沢右岸尾根)を眺め、守門岳山頂に一番近い集落に住んでいた。心の何処かで、守門岳と自分は特別な関係なのだという思い込みがあるからである。
 小学生の頃、冬は寮に泊まっていて、大原部落の子供たちは『大原』という部屋。五味沢集落の子供達は『浅草』という部屋であった。なぜか対抗心みたいなものがあり、あまり一緒に遊ばなかったような記憶がある。『浅草』の部屋に居た女の子の1人が、現音松荘の女将である。
『浅草』に居た子供達は全て女の子であった。女系・・的な集落だったのであろうか。『浅草』に比べると『守門』は野生的で粗野な子供が多かった、男も居たし女も居たが。
 幼い頃から、守門と浅草は敵と味方みたいなニュアンスがあった。今でも、心の奥では守門に傾倒している自分が居る。浅草ではない守門という響きが好きである。
 
守門と浅草は、ラーメンライスみたいな感覚で登られている。2つで1つのセットメニューみたいな感じで扱われている。それだけで軽薄な山として見られ、不憫である。そんな不憫さが逆に浅草岳に関しても同じように愛着が少しは湧きつつある。
 何年か前、守門岳に登ろうとしている中高年グループの1人が『私は行かないのだ』と登山口で待機していた。自分から話をするその人は、午前中に浅草岳に登って、今は自分以外は守門に登っているのだという。しばらくすると雨でビシャビシャに濡れた登山者が下山して来た。
聞くところに寄れば、彼らは関東在住者で早朝に出発し、両山を登ったのだという。
そういう山歩きも可能ではある。きっと印象深い山旅として当事者は記憶に残るであろう。だが、相当きつかったはずだ。でも逆に、『あの程度の山は2つでも登れるよ』などと吹聴してるのかもしれない。
浅草岳は最長コースを歩き、守門も最低限二口や大原コースを歩いて貰いたいというのが本音だ。ネズモチからの浅草岳登山は、楽チンコースとされているが、それは車道が近くまで入っているからであり、それで浅草岳そのものを評価して欲しくない。・・・一転、浅草擁護の立場になってしまったが。

今は、浅草山麓の管理棟の掃除夫であり、週一の便擦りに通っている身である。情けない立場である。
何で浅草の為にこんなことやってるんだろうといつも思ってしまう。守門だったらむしろ喜んでやるのに・・・と。
浅草岳ネズモチ道の草刈もあまり気が進まない。
 今日の浅草岳登山も全く気が乗らなかった。でも行かなきゃ・・・行ってこなくちゃいけない。脂肪を燃焼させなきゃ・・、ただひたすらそれだけのために山頂へと向かった。無機質で感情もない山旅である。
 この悪天のなか、関東ナンバーと北陸ナンバーの車があり、それぞれが登っていた。ずっと登りたい山の一つであったのであろう・・・そう思いたかった。
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