9月5日〜6日 裏越後三山

5日 
荒沢岳登山口3:30  前山4:15  発4:20   前クラ直下5:10  発5:20  前クラ中間地点5:50
発6:00  前グラ上6:25  稜線途中7:00  発7:15  荒沢岳山頂8:10  灰吹山手前9:05
発9:30  灰吹山9:35  灰の又山直下10:25  発10:55  灰の又山11:10  源蔵山11:40
巻倉山手前12:07  発12:25  巻倉山12:32  兎岳直下13:30  発13:40
兎岳JC14:05  発14:10  中の岳直下15:06  発15:20  中の岳16:45  中の岳非難小屋16:50
総行動時間 13時間20分

6日 
中の岳非難小屋5:10  1901p5:37  発5:45  檜廊下手前1866p6:20  発6:30  天狗平7:20
9合目7:35  発7:40  諏訪平8:07  駒ケ岳8:35  駒の小屋8:50  前駒9:10  百草の池9:35
小倉山10:08  発10:15   小倉山直下10:25  水汲み及び休憩後発10:55 道行山11:30
明神峠12:15  発12:25   銀の道入口12:50  荒沢岳登山口14:15 
総行動時間 9時間5分


 裏越後三山とは、荒沢岳・越後駒ケ岳・中の岳を繋ぐルートを総称するようである。
荒沢岳〜兎岳は昭和30年代に建設され、一般登山道として登山全盛期に多くの登山者が縦走をしたようである。現在50才前後の年代の方が、青年期に山岳部やワンゲルでこのルートを辿ったという話をたまに聴く事がある。以来あまり手入れがされなくなり、藪化が進んでいたという。
 何年か前に、荒沢岳から兎岳のルートが復元されつつあるという情報を聞いた。その後、色んなサイトから情報を得たりしたが、昨年、知人が歩いた記録や経験談を聞き、言い方は悪いが歩いてしまいたかった。
出来れば複数で行きたかったが、天気と同行者の都合などを考えると、なかなか行けそうで行けない場合が多い。ならば、単独ではどうかと、節制を試みたり実施日や天候などを思いあぐねていた。

 9/5は天気は良く、9/6はあまり良くはない。5日をメインにし、6日は帰る行程とすることとした。
4日、夕食を食べ向かう。途中で、スーパーに立ち寄り3000円ほど食糧を買った。
なるべく軽量化を図るため、煮炊きはせず水は全て飲料のみと考え、4.5gとした。少し少ない気がしたが、6日の日は駒ヶ岳の小屋で十分補給できるであろうとの目論見があった。
午後8時頃、銀山平の荒沢岳登山口に着く。誰も居ない静かな登山口で、最近出来たのであろうか公衆トイレがある。
 久々の車中泊で、お茶のペットボトルで宴会する。
電気を消すが、全く眠気は訪れない。眠くならない自信さえある。
11時少し前に腕時計を確認した後、どうやら眠ったようだ。

 3時少し前に目が覚めた。30分で準備し、3:30にヘッデンを照らし登山口から入る。
大雨で小沢が氾濫したのか、大きな流木がのた打ち回ったように登山道を覆っているが、踏み跡はほど良く付いていて、上手にそれを超えれるようになっている。
全くの闇の中を一歩一歩登っていく。意外に暑く、熊のプーさんの団扇で扇ぎながら歩いていく。未だ夜も明けないうちからこれだけ暑いとするならば、夜が明ければ一体どのくらい気温が上がるのであろうかと不安がよぎる。
こんなに遠かったっけ?と思う頃、ようやく前山らしいピークに着いた。まさか別の道を歩いてきたんじゃあるまいな・・と、念のため、地図を広げ方角を確認する。この先は少し下りになるので、ほぼ間違いないと確信する。
前グラが近づいてきた頃、ようやく空は明るくなりはじめヘッデンを外す。
 荒沢岳には、過去に2回ほど登っているので、およそコースの概要は解っていたが、1泊泊まり用の荷なのでスムーズに悪場は通過できない。
梯子を越え、前グラの中間の尾根に着く。休憩を試みるが、なにやら虫が沢山飛び回っている。その虫が体中にくっつき、噛んだりしているようだ。見れば、羽蟻なのだが、赤蟻の類なのか獰猛に攻撃してくる。
地面の中に巣があり、近づいた敵に攻撃を仕掛けているといった風に見える。
 ゆっくりしたいところであったが、逃げるように今度は前グラ直下のへつりに向かう。
すいすいと楽しむように行けた記憶があるが、多少の荷の重さで随分と上手く動けない。
前グラ頂上に着き、今度こそゆっくり休もうとザックを下ろすと、また羽蟻の大群が沢山居た。仕方ないので、もうちょっと上まで行って大休止することにした。
ダケカンバが数本ある尾根道で、休憩するが気温がどんどん上がってきている感じだ。徐々にペースはさらにダウンし、8:10にようやく荒沢岳に着いた。
2000m近い山頂の主はやはりこの凶暴な羽蟻だった。少し下って休憩する。
 休憩後、下っていくと刈払い機が木に括り付けられている。下の方から刈払われた痕跡があったが、これからさらに灰吹山に向けて刈る予定なのであろうか。やはり刈払い機から先は笹薮が繁茂し、足元が解らない所もあった。しかし、灰吹山に近づくと、再び刈り払われた道となっていた。
 羽蟻攻撃などで、前に前に進められたせいか、随分息が上がり疲れがとれなくなってきた。かなり長い時間休むことにする。この体調では、相当自信がない。ツェルト泊して明日撤退するか、長く休んで撤退するか、それとも・・。見上げる荒沢岳は随分高く、相当下ってしまった感がする。
 休んでいるうちに、少しだけモチベーションが上がり、とりあえずもうちょっと行ってみようかという気になる。
登山道はずっと手が入っていて、快適だったが、自分の体調はまさにだましだましのカタツムリペースは変わらない。
灰の又山→源蔵山→巻倉山と進んでいくが、いずれも長い休憩をはさみながらでペースは遅い。
源蔵山を下ると、テン場があり、某山岳会などの刈払い作業用宿泊のテントとビニールシートが貼られてあった。
 そこを過ぎ、少し登ったところで休憩し、昨年ここを登った森山君に電話を入れてみた。『兎から中がねぇ〜』と厳しさを言いつつも、『まぁ、丹後で泊まるという手も・・』などとアドバイスを聞く。
全く誰も居ない一人山旅での、こうした携帯電話は何よりも勇気づけられる。
 結局、荒沢岳から約6時間掛かり、兎岳のJCに着いた。ここで14:05、さてどうしようか。丹後まで逆歩行すれば、容易に到着できるであろう。掛かっても小1時間程度。ただ、明日の行程は相当長くなる。
少し遅くなっても、何とか5時くらいには中の岳小屋に着けるであろう。そうと決まれば、あとは足を動かすだけである。状況がまずければ何処へでもツェルトを張る腹積もりであった。
 それにしても、『あれっ?』と目を疑う登山道である。中の岳から丹後山へ続く稜線は、イメージ的に主稜線であり、荒沢岳から兎岳間が副的な要素と思っていたのだがまるで逆だ。思いっきり笹が繁茂し、うっすらと道の部分だけ笹丈が少しだけ低くなっているからこそ、かろうじて道であると解るような所もある。
よって無造作に足を運べず、割りと時間を要した。転倒も多かった。
 何はともあれ、中の岳の直下まで来たが、目の前には巨大モンスターが立ちはだかっていて、激爆の登り返しと半薮が待っていてくれた。
 そういう時には、そこに身を投ずることだ。身を投ずれば山と同じ血が流れ、同化できるはず。激情をぶつけていくのではなく、あくまでもさらりと歩いていく。歩くたびに、後ろを振り返れば徐々にではあるが、下方が遠くなっているのだ。
 上まで上がると、敵もさるもの、偽ピークをどんどん増殖させてくる。結構参るが、それでも勤めて淡々と振舞い、スノキ・ウスノキ・オオバスノキ・コケモモ・アカモノなどの天然フルーツを食べながら焦る気持ちを欺く。
 訪れる時はいつもポンと訪れるのだ。ポンと頂上に出た。方位版と祠があり、感謝を口にする。
中の岳非難小屋には人気は感じられない。
誰も居ないことが解っていながら、『どうも遅くなりました』と中に入る。小屋内は結構気温が高く、誰も居ないことをいいことにパンツ1枚で夕食とした。
夕食のあと水を飲んだが、水の量が少し少なかったかな、とずっと心配していた。

 車中で寝た前日より多く睡眠したが、せいぜい6時間ほど。エネルギーが漲るような体調ではない。
早かったが、4時半頃朝飯を摂る。水の量は気になるが、なんだか水が欲しい。朝でもうすでに、700ccしか残っていない。何とか駒の小屋まで持てば何とかなるだろうと楽観的に思う。
 朝方は薄ら寒かったので、雨具を着ての出発とした。だが、直ぐ暑くなり、その下の1901pで脱ぐ。
9年前に越後三山掛けをした時に、檜廊下は凄く歩き難い所と記憶していたが、今年は綺麗に刈り払われ落ち着いて歩けば割りとスムーズに歩ける。
 駒ケ岳の直下まで来、休んでいると上から登山者が2名下ってくる。1日ぶりで人を見る。向こうから話しかけてきたので、自分も話す。昨日グシガハナコースから登って小屋に泊まり、これから中の岳に行き十字峡へ下山するのだという。
 登りきると、ピーク増殖はとどまるところを知らず、ピークは先へ先へとの伸びていく。
駒の小屋方面から登山者が山頂ハントを目指し歩いているのが見える。自分も、せっかく三山縦走中の身、山頂参りはしておかないといけない。ザックを置き、体一つで山頂に出向く。
縁とは不思議なもので、5回山頂に来ても今日も眺望は得られなかった。相当天候が安定していないと、この三山は眺望が得られないことのほうが多いようだ。
 やっと給水できる、勇んで小屋に着き、先行者にまず挨拶する。だが、どうだ。水は出ていない。
先行者に聞いても埒が明かないのは解っていながら、それでも色々と聞いたりする。諦め、なるべく早く下ることを決める。
 小屋直下に水の音と雪渓があるが、そこに行けば水は採れるであろう、ザックを下ろし向かいかけるが、登山靴では滑り易そうなのでやめる。
 前駒近くになると、登山者が大勢登ってきた。最初行き会ったのは、奥只見ガイドクラブのoさん。交代で小屋番に通っているのだ言う。ここから下に水場は無い事は解ってはいたが、一応聞いたりする。
『ネェのう』と無造作に一蹴。この人特有の言い方だから極自然なのだが。『じゃ、どうも』と挨拶しさらに下っていく。
行き会う、行き会う。場所と日時が変われば、こうも人がいるのだ。
 小倉山まで着くと、朝一に駒ケ岳山頂で行き会った二人が休んでいた。水を乞うてみるか?いやしかし、結局言い出せず一層喉の渇きが気になっていた。
小倉山を下りながら、右側下方から水の音が聞こえてくる。鞍部でもう一度確認して見よう。
50mくらい下がれば、まず水は取れるだろうと確信し、薮の中を下る。10mほど下ってヒドに行き当たった。ヒドの水は枯れていた。しばらく下ると、水が流れている。それも湧き水だ。チョロチョロとだが、冷たくて地下から湧き出てきた水のようだ。ペットボトルで汲み先ずは半分ほど飲む。天然のミネラルたっぷりの美味い水だった。1gほど採取。
薮漕ぎといえば、普通はスパイク長靴だが、今日は登山靴でザックを背負ったまま。てこずりながら登山道へ戻る。
 水を確保し、やっと一安心する。すると今度は長い長いこのコースが苦痛になってくるのだ。道行山は未だはるか先で、道行山に着けば、さらに明神峠はさらに先。明神峠に着いたところで、今度は銀山平まで銀の道を辿り歩いていかなくてはならない。かなり嫌気もさしてきた。
 足を動かせば、どうにかなると何とか明神峠まで辿りつく。
暑苦しい湿気っぽい空気がついに雷鳴を呼び、雨が当たり始めてきた。自分の体はとりあえず暑いので、雨具はさておき、ザック中の物を濡らさないようにとカバーをかける。
峠の直ぐ直下に明神様の社がある。社の左側に『銀の道』の看板があり、方向が示してある。『あれっ?方向が違うんじゃ・』と思いつつも、200mほど進んでしまう。やはりこっちである筈は無いと戻り、再び地図を見ると、100m以上下方に下った所から銀山平に向かう銀の道はあるようだ。
もともとこの銀山平へ行く道は、旧湯之谷村から明神峠を経て銀山平に行くはずなのだ。旧湯之谷へ行く銀の道は地形図には現れていないことも、間違いの思い込みを強くさせたのかも知れない。
銀の道を15分ほど下ると、雨足が強くなってきた。暑いが濡れ鼠状態になるよりはましと雨具を着る。
銀の道は、古い歴史を感じさせる渋い、穏やかなこれぞ山道という素晴らしい景観を持つ道である。
だが、疲れた体には結構厭になるくらい長く感じられた。
 目の前に現在の銀山平の旅館街が見えた。一旦車道に出て、そこから再び未整備の川沿いの銀の道の続きを歩く。銀の道の管理は今では車道までとなっているようである。
 石抱き橋の袂に出、そこから車道の歩道を歩いていく。
有名山小屋の前を過ぎ、荒沢岳登山口に戻った。
 強い達成感のような感慨があるとは言えないが、喉元に引っかかっていたモノが一つ取れた気がする。

前グラ 前グラから荒沢岳
荒沢岳から灰吹山・灰の又山・源蔵山・・・ 兎岳JCより丹後山へ
兎岳から歩いた稜線を見る とんがった荒沢岳 大水上山から平が岳への県境線

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