9/3 狢ヶ森山(1315m)

 2006年5月の五剣谷岳の山行以来の、地元友人平井氏と行く。
一応、狢ヶ森山と日尊の倉山の二つを登ることを目指していた。ところが、本名御神楽岳に行く道の分岐で、通行止めの看板が出してある。この先5`が対象だとある。
本来県境の1130mまで車で乗り入れ可能だったはずだが、全く当てが外れてしまった。とり合えず行って見ようと言うことになり、重機のある標高650m付近の邪魔にならない場所に停車した。
高度計もないので、現在地がどの辺まで上がっているのか全く見当がつかないが、まずはと歩き始める。
 平井氏は、山の幸採取のプロである。未だプロとして生活は出来ないので、若干の非常勤の宮仕えをまじめにこなしている。
『良いマタタビがある』という。見れば、ふっくらと美味そうな実がたわわについている。
今年は、5月の20日から車の乗り入れが禁止され、山の幸は確りと子孫を残す為に、たわわに実らせているのかも知れない。
 車道歩きは辛いとよく言われる。それはおそらく、気障な言葉で言えば、足の裏と地面とのキャッチボールができないからであろうか。次はそこのステップに足を乗せて・・・次はそこの石をまたぎ・・・木の根っこをステップとして使おう・・・とか・・。
車道を歩くという行為は無機質で、歩くという手段だけに終わってしまうからである。登山での歩きとは、土との会話である。地面を踏みしめ息を切らし、心臓で血を運び、筋肉を動かし一歩一歩高さを稼いでいくのである。自然の命と人間の命を繋ぐ何かがある。車道はそれが寸断された世界なのだ。
 だらだらした車道登りは、やけに疲れ、暑苦しい天気はシャリばてを起こしてしまった。誰も通る筈のない車道に腰を下ろし、平井氏から『大雑把な弁当だな』と酷評される。それでも美味そうに貪る。
シャリばての場合、貪るという表現が適当だ。ここで言う大雑把な弁当とは、弁当の上にタラコを数本無造作に横たわらせ、キュウリの糠漬けも丸まる一本ごと弁当の上に乗せただけの、超手抜き弁当のことなのである。自分だけで食べる料理はことごとく手抜きしたい。
不思議なもので、食べ終えると、心なし漲るものが感じられるようになる。
途中で、道路のセメント施工された法面の巨大な壁を遥か彼方に確認し、未だあんなに遠いのかと意気消沈しながら、それでもまずは一歩と諦めながら足を動かす。
2時間強でようやく県境線に着いた。ざっと地図を確認すると車道の長さは約10kくらいの長さであった。
大休止し、さてどちらの山から登ろうかという話になる。昨晩、ある本で読んだ記事に狢ヶ森山の入り口は新潟県側にしばらく行った緩い尾根から入る、そこには赤テープがある、などの記事を流し読みしていた。
一応有名度から言えば、狢が森山かと決め、キノコでもないのかと辺りを眺めながら車道を新潟方面へ移動していく。
手に25000地図を眺めながら、尾根の位置を確認しながら進むと、右側にかつての土捨て場だったような平らな地形があった。あるとすればこの辺かと、左を見れば視線を合わせた所に一発で赤テープが付けられたミズキの木があった。かなり手強そうな藪であったが、5mほど進むと、普通の山道のような快適な道となった。少し行くと急になり、斜面をへつるようになる。その昔県境から県境線沿いに道があったのであろうか、かつてあったであろうその薮道と合流し、山頂方面へ進路を変えた。少しダウンアップし、一部しか視界のない畳二畳ほどの三角点のある山頂に着いた。
県境に戻ると、空は雲に覆われ日尊の倉山への意欲は二人とも薄れてしまっていた。
このまま道端のサルナシやマタタビでも採りながらゆっくり下ろうと歩き始める。
二人でそこそこ両方とも採る事ができた。やはり雨雲が近づいてきて、少し雨に当たってしまったが、なかなか渋い山旅であった。

650m付近交通止め箇所8:10  会越境界10:20  発10:32  狢ヶ森山入口10:55
狢ヶ森山11:27  発11:35  狢ヶ森山入口着12:00  会越境界12:20  発12:30
650m付近交通止め箇所15:00

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