8月11日 駒の湯から越後駒ケ岳

 昨年あたりから登りたい山の一つとして、候補に挙げていた。
駒の小屋の管理人さんに会いに行きたいという理由からである。
駒の小屋の管理人さんは昨年より、守門村のs氏になった。
s氏は、須原スキー学校の校長をしており、今でも抉るようなターン弧を描く技術を有している。
年齢は私よりも10歳も上だが、スキーは巧すぎるほど巧い。
スクールを手伝わせてもらったり、何かと世話になったので、寝酒でも持って行ってやろうと出掛けた。
 ここの所丸一ヶ月以上も山に行っていなく、加えて不節制極まりない不健康体であり、体力には自信がない。
よって、長いが緩登の枝折峠から向かうものと決めこんでいた。
大湯温泉街を抜けると、駒の湯のバス停があり、駒の湯温泉と駒の湯登山口まであと1.4kmと書かれた看板があった。
駒の湯方面は、いかにも涼しげで、途中引き返しも止む無しと、駒の湯から登る事にした。
登山口には一台の自家用車が停車しているのみで、他には人気もない。
登山カードに所定の事項を記入し、歩き始めた。
かなり不安定な吊橋を渡る。
道行沢は涼しげに透明なしぶきをうねらせ、橋の下を流麗に流れている。
橋の向こうには、かの有名なランプの宿が見え、たくさんの車が止まっている。
あれだけ有名になると、景気不景気はあまり関係ないのであろう。

越後駒ケ岳には、過去二回ほど至っている。
一度は単独で枝折峠からのピストン。
二度目は友人とやはり枝折峠から八海山新開道下山の三山掛け。
思い起こせば、三山掛けはフェーン現象の真っ只中で、体温下がらずで地獄を見た。
2日で24時間歩いた。
 そういった苦行を経験しているから、駒の湯ルートでも多少疲れる程度であろうなどと、高をくくりながら登りはじめた。
橋を渡るとまず急登。急登を過ぎるとさらに急登。、といった具合になかなか休ませてくれない。
昨日は、お客さんが居ないものだから、アルコールは体中飽和状態で、体調はすこぶる最悪。
---いつもよりかなり疲れる----心の中でうめく。
丸一ヶ月以上、家の中での階段登りしかしていない運動量では、やはり酷であったのだ・・いまさらながら枝折峠から行けばよかったと後悔する。
小一時間も引っ張って休みをとるつもりだったが、30分に変更。
それに夏日でもある。きっと気温もそこそこ暑いのであろう。
 基本的には、道行沢と小チョウナ沢に挟まれた尾根を登って行くのであるが、意外に日差しが入らず木陰は多い。
オクモミジハグマ、アキノキリンソウなどが花をつけ始めている。
登山道脇には、トクワカソウ?(イワウチワ)の葉が夥しくあり、傾斜地にはユキグニミツバツツジが沢山あった。
五月頃には、すばらしい花々に覆われるであろう。

少し平らな地形に出るも、目の前には、小倉山が遥か彼方に見えている。
コースタイムなど、もうどうでも良くなって、行ける所まで行こうと目標を定めぬ事にする。
何度か緩登若しくは、平らな地形に出るが、いずれも目の前には急登の連続。
30分に一回のペースで休みをとりながらゆっくり歩を進める。
3時間要し、ようやく小倉山の三角点に到着。
分岐では、3名の登山者が談笑していた。
挨拶を交わし、「駒の湯の温泉はどうなんですか?」とたずねられ、「良いんじゃあないでしょうか」と言う。
入ったことがないので、如何様に答えればよいのか解らない。
「何時間掛かったか」とか聞かれると、真剣に答えたくもなるが、青色吐息で登ってきて、
出発地点にある温泉の良さを聞かれても返答の仕様がない。
小倉山に着いてほっと一息するも、目指す駒ケ岳はこれまた遥か彼方に見えている。
小倉山までで既に3時間掛かっているわけであり、遥か駒ケ岳はさらに2時間以上は必至である。
とりあえず、足を進めようとゆっくり歩く。
この真夏の中、小倉山から駒の小屋までの間でさえも、20人近くの登山者に会った。
100%枝折峠からに間違いなさそうである。
緩登の下りであるから、40台〜50台の男性達は軽いフットワークで下ってくる。
百草の池から駒の小屋までの急登は、最後の苦しみとなった。
5時間強、ようやく駒の小屋に着いた。
もちろん、はなから山頂までは行く気もない。
駒の小屋には、下山を開始しようとする関西訛りの御婦人3名と、新潟訛りの8人パーティーが居た。
ベンチの上にザックを置き、一呼吸し、ザックの中から御中元を取り出す。
s氏の好きなウイスキーと発泡酒(ちょっと高いし重いので、なるべく小さな小瓶と安価な発泡酒)を持って管理人室をノックした。
変われば変わるもので、髭などたくわえたことがないs氏は、山男らしく髭を蓄えていた。
「小瓶で申し訳ないが、寝酒くらいにはなるでしょう」と渡す。
しばらくs氏と話す。
「今年の景気はどうだけ?」と聞くと、「去年より悪い」と答えた。
「オラっとこもそうだて〜」と私。
全国的に山関係は良くないのであろうか?新聞の景気、あれはいったい何なんだろうと思う。
 10分ほど話し、名残惜しかったが、s氏に挨拶し、下山を開始した。
下山は殆ど休まず下ったが、軽く3時間強は掛かった。

このコース、ロケーションや植生も豊かで、良い時期ならば、面白いコースであろう。
それに日陰も多く、意外に涼しく歩けるコースでもある。
しかし今の時期、誰も歩く人は居ないようだ。
帰りの道路では、駒の湯に向かう、宮城ナンバーや、横浜ナンバーなど各地のナンバーの車と行き会った。
「すごいね・・」一人つぶやき、駒の湯をあとにした。

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