4月25日 守門岳二の芝付近から大雲沢中段

前日の心のもやもやがそのまま天気に表れたような、生憎の小雨交じりの天気であった。
段さんは、既にこちらに来て、家のオヤジと茶を飲んでいるが、後の方々はまだ来ていない。
取り合えず、先に行っていようということになり、守門岳登山口で待機していた。
しかし、なかなか来ない。
もう1度引き返して、様子を見に行こうと言うことになった。
オヤジだけが、最長老の家まで行くこととし、私と段さんは家の周りでうろうろして、時間を過ごした。
そのうちに、雨が止んで来て、青空こそ見えなかったが、そこそこの天気となってきた。
9時を過ぎてから、皆さんが集まり始めてきた。
天気が悪いので、様子を見ていたということである。
守門岳登山口で、本日のシシの回収の為に色々準備を始める。
私は、Hさんが持ってきた、50メートルのロープを60gのザックに詰め込んだ。
その他、私だけが銃器を所持し、後の方々は剣スコップなどを持参した。
エデシ付近に到着し、皆がそれぞれに昔の思い出話をし始める。
リーダーのMさんやHさん、それに家のオヤジの世代は、かなり若いうちから銃を所持し、とんでもない山行き猟を行っていたらしい。
泊り込み猟は当たり前で、秋のうちに泊り小屋を立てて、食料を運んでおく。
シシ山が始めると、何日も何日もその小屋に立てこもり、細々と食いつなぎながら猟をしていたのだそうだ。
  やがて、私の撃った場所まで来ると、自然にみんなの言葉は少なくなってきた。
どうやら、現場検証が始まるらしい。
私とて、昨日どこに位置していたかなど、およそ程度しか解からない。
べテランの方々はおおむね、私の動きを理解したようであった。
昨日、私は下ったあたりから、Mさんが先頭で剣スコップで足方をつけながらゆっくり下る。
時折、ブッシュの中を通過するが、その木をHさんが処理する。
直線距離にすれば、たいした距離ではないが、万が一のことを考えて、ゆっくり慎重に下ってゆく。
やがて、眼下に滝の上部の棚の部分が見えてきた。
直ぐそこに滝の棚が見えるが、シシらしき物体は見られない。
二の芝付近から1時間かけてようやく、滝の上部の棚の部分に到着した。
水の流れ出ている個所の穴を覗いたりするが、全くシシの気配はない。
「とても、動いてどこかへ逃げれる状態ではなかったんだが…」とHさん。
加えて、「シシは、とにかく丈夫な代物だから、どんなことになっているか解からん」という。
しかし、「あの状況で、どこかに登って逃げるというのは考えられない。」と結論付ける。
皆がそれぞれに、ブッシュの中を捜索したり、高い所に上がって眺めたりするが、結局不明であった。
ここには居ない・・と言う結論が出され、引き上げることになった。
まさに、断腸の思いである。
無言で、皆が登山道付近までひたすら登る。
登山道を下りながら、明日の相談をする。
守門岳の付近の雪崩の状況に関しては、家のオヤジが一番明るいので、オヤジの助言を求めながら、ことを決めて行く。
見晴台から布引の滝の遊歩道に降りる中間地点から、へつりで滝壷まで至ろうという計画が立てられた。
その付近に目印として、剣スコップを突き刺しておく。
ブロック崩壊が考えられる場所は2〜3か所ほど有ると言う。
そこは、慎重に、一人づつ通過するという策が練られた。
「とにかく、明日だ!明日、探していねえば、どうしようもねえ!」誰からともなく発せられる。
何とか、明日回収したい・・みんなの気持は同じであった。
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