4月24日 守門岳二の芝

この日の私は、軽いのりで守門岳にでも行って、登山道の状況でも見に行って来るつもりで出かけた。
ただ、シシ山の真っ最中であったので、一応それなりの準備はしておこうと準備していた。
オヤジと勢子の段さんは、エラオトシ沢から入ると言っていた。
総リーダーのM氏とHさんは、下黒姫沢からの入山と言う情報を聞いていた。
守門岳登山道と駒の神稜線の間には、険悪な大雲沢が流れている。
また、駒の神稜線とエラオトシ稜線(下黒姫沢右岸尾根)の間には、エラオトシ沢が流れている。
総勢5名でしかない人数であったが、連日のシシの不在で、様子を見る程度のシシ山であった。
大雲沢近辺には、私。エラオトシ沢には段さんとオヤジ。下黒姫沢と上黒姫沢にはMさんとHさんが探索という図であった。
今年は雪が非常に少なく、スキー場も4月の第1週で閉鎖されたので、守門岳登山口までの除雪はとっくに終わっていた。
車で登山口まで入り、準備する。
只の登山道チェックならば、銃も要らないし、装弾も不要だ。
しかし、猟も兼ねているので、所持する。
いつもの事ながら、登山口付近は雪に覆われているので、道が解かりづらい。
以前ならば、迷う所であるが、最近は木の位置を把握しているので、大方わかる。
50メートルほど雪の上を歩けば、夏道が現れる。
エデシに到着したので、一休みして、双眼鏡を取り出す。
しばらく眺めてみるが、「そんなに簡単に見つかれば苦労しない」と思い、歩を進める。
デジカメを持参していたので、呑気にこの時点では花などを撮りまくる。
青天の霹靂・・・とは言ったもので、この後とんでもないことになってしまうのだ。
 エデシから上の、標高1000mの見晴台までは、雪はないだろうと思っていたが、所々のこっているところもある。
途中途中で眺めても、そんなに大した位置は変わらないので、一気に見晴らし台まで歩くことにする。
標高の低い所では、連日暖かいと言うよりも、暑すぎるくらいの晴天だ。
見晴台に到着し、まず水をがぶがぶ飲む。
連日のシシ山で、帽子には自らの汗が付着し、塩となってこびりついている。
当たり前だが、なめて見ると実にしょっぱい。不潔以外の何ものでもない。
正面の駒の神側の稜線の斜面をしばらく眺めていたが、何も目新しいものは見られない。
そこで、1沢越えたエラオトシ沢の左岸斜面を眺めることにする。
この左岸斜面の最上部に、「もがけ」若しくは「のこぎり鞍」と呼ばれる、シシのヤスがあるらしいのだ。
ヤス・・・とは、シシが冬眠する、木のウロ、若しくは岩穴などの事を総して言う。
その辺を中心に眺めていると、おそらくシシであろうと思われる生き物が、雪の斜面をヘつっていたのが確認できた。
しかし、対岸斜面ではなく、さらに奥の対岸斜面なので、たちまち見失ってしまう。
およそ、シシが動きを止めたと思われる場所で、黒い色が有ったので、とりあえずそれがシシであると断定する。
勿論、この断定は、自分の中での断定である。
色は若干薄いようであるが、まさしくシシそのものの風体であったからだ。
一応、最長老もその辺まで来ていたので、取り合えず連絡を入れてみる。
連日のシシ不在の続く毎日で、私の情報に、最長老は色めき立って「目を離すな」と、さとす。
オヤジと段さんはその辺を登っている筈なので、最長老は親父達に連絡し、近くを探すよう命令する。
私が、シシと思われる生き物を目撃した地点まで行くには、深い沢を越えて、通称「野の平」というまっ平な地形まで行かなければならない。
深い沢から、野の平までは、侵食された地形である為に、かなりの藪こぎが強いられる場所でもある。
野の平に着いたらしく、オヤジから連絡が入った。
その連絡は、最長老に対してのもので、親父の興奮した声が耳に飛び込んできた。
「シシは、おらが前の斜面を真っ直ぐ下った跡が有る。かなりでっかいぞ!」
シシに感ずかれるのを予防する為、声は静かだが、興奮した感情は伝わってくる。
親父グループと、最長老はしばらく作戦を練るために、連絡を取り合っている。
そして、最長老から私宛に連絡が有り、リーダーのM氏とH氏に伝言してくれと言う。
いくつもの深い沢が有り、巨大な尾根が有るので、連絡が直接出来ない為に、一番高い場所に居る、私から連絡をとれというのであった。
失敗は出来ぬと思い、最長老から言われたことを簡単にメモする。
シシのおよそ居ると思われる場所を、リーダーM氏に連絡する。
M氏とHさんは、まだ稜線まで至っていないようで、それを待つことにする。
シシは、まだ動かないようであり、その間に飯でも食おうと握り飯を食い始める。
近くにアリ塚が有るらしく、アリが多くて握り飯の中まで入ってきて、蟻酸まで一緒に食ったりして吐き出しつつ貪り食う。
獰猛なアリたちと、食い物争いをしている最中にふと対岸斜面を見ると、紛れもないシシがのそのそ歩いている。
なるべく音を立てぬよう、しかし、敏速に最長老に連絡をとる。
「おい、じゃあ、それは別のシシだねや、目離さんようにようく見テレ!」
どうやら、別のシシという事で、先ほどのエラオトシ沢のシシを先にやるようである。
捲きが始まるが、どうもエラオトシ沢のシシが不在のような、連絡が耳に入る。
藪を絡んで、自分の居る方向に入ってきたのだ、という結論が出された。
最長老リーダーは、その旨をM氏とHさんに連絡し、2人を駒の神の稜線上に来るように連絡し始めた。
「妙な雲行きになってきたな」と私は思ったが、この時点ではこれからの展開は予想できなかったのである。
シシを最初見つけた地点は、駒の神のやや下方に、三人鞍というそれほど大きくない岩場があるが、その下の大雲沢側の斜面をヘつっていた。
直ぐ傍という感じでは有るが、直線距離にしても、500メートルは十分下らない距離だ。
大白川川側から眺める守門岳は、単純にいえば、三つ瘤となっており、左肩部分が山頂の袴岳である。
真中の頭部分に見える尾根は、通称「中峯」と呼ばれている部分である。
右肩の部分は、地図上では袴腰と呼ばれているが、シシ山ではそこから駒の神に至る「だるみ」(鞍部)を袴腰と呼ぶらしい。ここは、雪が沢山残る、カール状の地形となっている。
この三つ瘤の、中央部の中峰を中心として、左右に沢が大きく分かれており、その二つの沢が合流して大雲沢となっているのだ。
シシは、駒の神寄りの右の沢の雪渓をゆっくりとへつり、小さな小沢を「どっこいしょっ」という感じで飛び越えている。
十分な大きさだ。80キロは十分ありそうだ。
やがて、その右沢を越えて潅木の中に入ってしばらく見失ってしまった。
最長老から、連絡があった。「シシは、今どの辺に居る」「一時目を離したら、ちょっと解からなくなった」と答える。
「よく、見てれ!」良く探せと言うことなのだ。
しばらくして、また、シシは雪渓の上に姿を見せた。
今度は、左側の沢に移っていた。左側の沢を小走りに走り、自分が居る方向の300メートルほど下のブッシュに入り込んだ。
この位置では、いずれにしてもどうしようもないと思い、その旨を最長に告げ、上に登ることにした。
シシがそのまま、順調に上に登れば、本高地沢に抜ける可能性が有るので、最長老より「渡止めしろ」と連絡を受ける。
抜けているか居ないか、足跡を確認せよ!と言う意味なのである。
シシは大体が、だるみを越えて別の場所に移動するが、それと思しき場所には渡を踏んだ跡はない。
どうやらシシは、先ほどのブッシュ地帯で、動きを止めているようであった。
その頃、M氏とHさんは、駒の神の稜線に取っ付いたようであった。
しかし、かなりの悪い場所らしく、私の居る位置が全く不明であるとの連絡が有った。
私は、手を振ったり棒を振ったりしたが、相変わらず不明であった。
取り合えず、M氏から、シシの位置を確定したいから位置を教えろと連絡がある。
この説明が解からないらしく、大変手間取った。
根気良く、細かい地形の説明をして、M氏はようやくシシの居る位置を特定できたようであった。
このシシの真山を何処に設定するかが、難しい判断であった。
私もこの時点では、シシの居場所は良く解かっていなかったのである。
最長老より、いちかばちかの作戦をとる、と連絡があった。
私が、追い上げる作戦である。
しかし、M氏とHさんの居場所が全く不明であり、どこに向けて勢子鉄砲を放てばいいのか解からない。
とにかく、大雲沢に目掛けて放てばよいというので、4発ほど発砲する。
発砲後、私の位置から200mほど下部に、黒い塊が動き出すのを確認。
急いでM氏に連絡し、勢子鉄砲を更に放とうか?と逆に聞く。「だめだ!」と、言う。
この時点まで、私自身、まったく自分はカヤの外の出来事として捉えていた。
「いいか、おらが、んなの所にシシを追い上げるから、んなはじっとしてれ!!」
全く予想もしていなかった事態となってきたのを確信した。
リーダーの命令は絶対だ。
速やかに臨戦体制をとる。
Hさんが、更に下部から勢子音を放ち始めた。
シシの動向が逐次、M氏から耳に入ってくる。
「あと、20メートルほど、感づかれないように上れ!!」「早く上がれ!!」
少し、後ずさりして急いで駆け上がる。
「良し、そこで待て!」息を慌てて、ゆっくりと落ち着かせる。
「拓、んなが前っけたへ、シシが上がって行くぞ!!」「ほら、そんま行くぞ、鉄砲構えてれ!!」
「ほら!、んなが鼻つぁきへいぐぞ!!」緊迫感を更にそそるように、M氏からの連絡は怒涛のように押し寄せる。
足場を確保し、銃を片付けする。何しろ、直ぐ傍まで来てるといっても、自分の位置から正面は全く見えないのだ。
とにかく、御対面になることは必至だ。
コンマ何秒と言う緊張感を必至に持続させる。
この時点で、シシは私のまん前に現れることしか頭になかった。
突然、「拓!シシは、んなの・・・」っふと、左に黒い物体が入った。
と同時に、限界に近い緊張感が少し途切れてしまっていたのかもしれない。
シシは、私の15メートル真横を歩き出していた。
体制は既に、真正面を向いているにも関わらず、銃を90度振り回さなければならなかった。
体がねじられている感覚が有ったが、一矢目を発砲。
至近距離だから、命中させる自信はあった。
シシは、咆哮を放ち、丸くなった。「ヤバイ!」致命的でない!。
落ち着き、二の矢を放つ。一瞬、シシは七転八倒しながら再度丸くなり、急傾斜地を転がっていった。
「御アタイか?」おそらく大丈夫であろうと思われた。
しかし、急傾斜地の為か、とても直ぐには確認できない場所だ。
イイ気になって歩いて一歩滑れば、シシのように遥か下の渓谷に落ちてしまう。
シシを撃った場所には、おびただしい血が雪に付着している。
「おそらく、御アタイだろう」そう思わざるを得なかった。
慎重に下ろうとするが、やはり恐い。斜面がである。金カンジキを装着するよう、連絡があり、金カンジキを装着。
ゆっくり慎重に下ってゆく。
耳から入ってくる情報によると、撃った場所から数10m下部のひび割れの中に一旦止まったのだが、まだ息絶えておらず、ずるずると這い出して、あお向けのまま、更に100mほど下の滝の棚部分に引っかかったというのである。
ゆっくり、ブッシュが有る部分では、安全を考慮して掴まりながら、下を覗きこむ。
滝の棚部分は、僅かに見えるが、遠いので良く解からない。
更に降りてみようと、下り始めると、最長老より、明日の段取りにする旨、引き上げろ、との指示が出される。
非常に危険な場所であったので、半ば安心した気持もあったが、どうもすっきりしない引き上げ方であった。
その後、全員が守門岳登山口に帰ってきた後、明日の段取りを決める為に最長老の家へ集まった。
この日は、実質的に、私とM氏とHさんの3人で巻き上げ、取り合えずシシを落としたという事実だけは評価されていた。
明日は、今日のコースを辿り、引き上げる予定であった。

2002年山歩きへ

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