4月22日内檜岳分岐

今日から、親子でのシシ山の参加となった。10日間ほど肱の手術の為に入院していた親父が復帰してきた。
とてもシシ山という状況ではないのだが、いても立っても居られないようである。
親父は、何処から聞いてきたのか、「今日は左沢だ」という。
五味沢の左沢なのか聞くと、そうだと言う。
私は若干遅くなって居たので、真っ直ぐ五味沢に行ってみる。ところが誰も居ない。
バックして引き返そうとする所へ、親父が車でやってきた。
「左沢たって、檜の左沢だてや!」という。
方向が全く違うのだ。
252号線の末沢地区の足沢から入るコースなのである。
只見線の線路を渡り、斜面を登り始める。
朝一番のこの斜面の登りは非常にきつい。
ちゃんとした山道ではないので、踏み後はない為に、ふくらはぎなどの筋肉は疲れる。
ベテラン隊は、ゆっくりと登っているので、まだ来ない。
尾根筋に到着し、しばらく金山沢方面を眺めるが、木が多くてなかなか見にくい。
尾根筋には、イワウチワや、タムシバ、オオカメノキなどの花が咲いていて実に見ごたえがある。
やがて、尾根は広くなり、雪渓が現れる。
雪渓をしばらく歩いて行くと、昨年平井氏と登った檜岳登山の時のペイントが残っている。
普通の年は、この雪渓を過ぎて右手に進路をとり、尾根の突端ピークを捲いて行くのであるが、今年は雪が少なくブッシュ歩きを強いられる為、そのまま山道を登って行く。
尾根に着くと、眼下には、足沢の渓谷が見えてくる。対岸には、やぐらと呼ばれる太郎助山直下のピークが見えてくる。
眺めに良いところで、しばらく皆で双眼鏡を取り出して、シシを探す。
今の所見当たらないので、Hさんと共に、更に上へと登って行く。
この尾根筋歩きは、長い。
足沢山までは、割と近いように思うのだが、結構登り出が有るのだ。
所々で、休憩がてら、双眼鏡を取り出して眺めては見るが、今だ見つけることは出来ない。
Hさんが先に左沢に向かって歩き始めたので、私も後を追いかけて登って行く。
足沢山頂には行かず、その手前を絡んで、雪の斜面をへつりながら内檜岳の分岐まで向かった。
7、8年前にHさんと、この斜面を走りながらシシを追いかけたことが思い出される。
左沢は、太郎助山と内檜岳の間から黒又川に注いでいる沢である。
双眼鏡で見ると、眼下には黒又川第2ダムのアーチがはっきりと見える。
しばらくして、全員が、内檜岳分岐に到着した。
Hさんは、内檜岳方面に行って確認してくると、少し下っていく。
この日は良い天気で、風もなく、一部始終が大変良く見渡せる日であった。
遠く佐渡島の金北山まで見える。
視界も良く利くので、シシを見つけるのは容易であるが、肝心のシシは全く姿を見せない。
そのうちに、皆が双眼鏡から手を離し、思い思いに昔の猟話を始めている。
御年、75歳のS氏はいびきをかいて眠って居る。
私も、皆と少し離れた、低い所で仰向けになっていたら、眠ってしまっていた。
グーグーと、自分のいびきに目が覚めた。
午後の3時を回りだすと、シシが動き始めると言われているので、そろそろと、最後のシシ探しに躍起になりはじめる。
午後4時近くになってきたので、リーダーの指示の元、下山することになった。
連日、シシ山というよりも、春山登山気分の一日であった。
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