1999年7月25日〜26日 枝折峠より越後三山縦走 新開道下山  S氏 私の2名
 
 24日の夜、S氏と共に八海山スキー場駐車場に私の車を回送する。
一夜明け、S氏の奥方より枝折峠まで送ってもらう。
峠を7時頃出発。
順調に歩を進める。
小倉山に着く頃、私がばてる。
一泊泊まりという事で、喜んで荷物を多めにした為である。
・・というよりも、枝折峠から小倉山までは、比較的平坦な道であるがために飛ばし過ぎたと言う理由もあろう。
私がばてて休んでいると、屈強そうな中年男性が『お先〜』と追い越して行った。
私とS氏は、『あれは、1泊だねや』と予想した。
荷物が多かったのである。

小倉山を過ぎ、百草の池を越えると急登となり、それを越えると見晴らしの良い尾根となる。
そこから駒の小屋は見える。
私が青色吐息で一服していると、女性とS氏が話しをしている。
女性は関西の方で、百名山を旅しているのだと言う。
話しの端々に『ついでに・・』と言う台詞が気になった。
いずれにしても、心の中で批判するしかない。
 駒の小屋に着き、一息入れ昼食とした。
食べ終え、早々に出発し山頂に着いた。
直ぐに出発するつもりであったが、S氏のカメラ小僧ぶりが始まった。
ヘロヘロの顔でS氏のカメラに収まり、中の岳を目指した。
駒ヶ岳山頂から少し歩くと、グシガハナ分岐となり天狗平に着いた。
天狗平で、再びS氏のカメラが登場した。
折角なので、私もリクエストし、オカメノゾキをバックに撮って欲しいと言う。
天狗平を越え、下り始めると小倉山付近で私達を追い越した、中年の紳士が休んでいた。
『いやぁ、こんな暑い日は初めてだ』と、中年紳士はバテを強調した
中年紳士は大分休んだのであろう、私達を直ぐに追い越し、中の岳へと登って行った。
この先は檜廊下が始まるのである。
 あらかじめ、藤島玄著の『越後三山・只見 集成図』で予習していたが『檜廊下』はイメージと異なるものであった。
廊下と言う位であるから、ひょいひょいと歩を進める事が出来るであろうと脳天気に考えていたのである。
現実は、ヒノキの矮生化した根っこなどが痩せ尾根に絡まる形となっており、割と歩くにくかった。
 檜廊下を過ぎると、いくつかのピークが目の前に立ちはだかるが、いずれも中の岳ではない。
檜廊下は結構きつく、2回目のバテが生じた。
少し休んだあと、歩き始めると、夕立の音がし始める。
たちまち、回りはガスに覆われ、二人とも士気は低下する。
ガスの下にうっすらと垣間見る、ゼンテイカの花に励まされ、小屋を目指す。
 二人の士気が低下し始めた頃、ポンと小屋は出現した。
小屋のドアを開けると、中年紳士がいた。
挨拶を交わした。
他に小屋の中には10名程いた。
十字峡から登り、中の岳の小屋で1泊し、明日丹後山経由で下ると言う御中年の夫婦もいた。
既に到着済みの若い登山者は、下の水場まで水を汲みに行くのだと言っている。
 私とSさんは、1階は塞がっているので2階に行き、荷物を下ろした。
天気も回復し、夕焼けが綺麗になって来た頃、外に出て夕食の準備を始めた。
あまり食欲はなかったが、インスタントラーメンを煮て食べた。
 その後、私は頭痛が酷かったので直ぐに横になった。
コンビニで買った1合のタカラ酒造の焼酎が寝酒であった。
しかし、なかなか寝れない。
S氏が夕焼けが綺麗だから外に来い旨、起しに来たが、生返事だけしてそのまま寝ていた。
やがて、日没後、S氏は小屋に戻り、夕焼けが綺麗であったと私に教えた。
夜に7時近くなり、2階に遅い登山者が入ってきた。
見ると、50台中盤位の年代の3名であった。
話しを聞いていると、八海山からこちらに縦走をしてきたようであった。
夕食準備の為に、ポリ袋をゴソゴソガサガサやる音がやたらうるさく響いた。
私語も多く、1階の中年紳士も我慢できなかったらしく、怒声が響いた。
 しかし、直ぐ傍の私達には、彼等の騒音は食事が終わるまで続き、さらに目が冴えたのは言うまでもない。
そんな事で、結局浅い眠りしか与えてもらえず、夜は更けた。
荷物を詰め込み、朝食は摂らず、5時に小屋を出た。
小屋には、あまり人は残っていなかった。

小屋から祓川までは、ガレ場の一気下りである。
30分ほどで、祓川に到着した。
祓川の美味い水でラーメンを煮た。
傍にアザミがあったので、具としてラーメンに入れた。
極上の一品であった。
 昨日から影のように付きまとう中年紳士に、ここで又一緒になった。
中年紳士が用を足す間に、私たちは出発した。
私も、後の事を考慮し、御月山での急坂の間に用を足す事にした。
 御月山から出雲先までは、鎖があったり、結構シビアな下り道であった。
出雲先手前で、S氏は仲間に無線を飛ばした。
内容は、ジョーク8割で、あとの2割はホンネ・・いわゆる、中年の定番。
 出雲先から大分歩くと、奇妙な現象が発生した。
水をいくら飲んでも飲んでも、飲み足りないのである。
暑い・・とにかく暑いのである。
あまりの疲労にオカメノゾキの怖さは半減したが、荒山から五竜岳への急登はまさに針の筵状態であった。
 とにかく、息をしてもしても息苦しい。
どうやら、魔のフェーン現象になっているらしい。
100%無風。
 中年紳士男性も『こんなに暑いのは、初めてだ』・・これを繰り返していた。
3人が、藪の中にひとしきり隠れるように涼んだ。
30分ほど休んだであろうか、心無し体温の低下を感じ、再び出発した。
 私は熱疲労の頭痛で、夢遊病者のようにゆらりゆらりと歩を進めた。
・・・奇跡であろうか、五竜岳手前から風が吹いてきた。
『おお!!風だ・・』。
風が稜線に吹き始めていた。
風に勇気をもらい、五竜岳で私とS氏、中年紳士の3名が同じ所で休んだ。
特に、私は一番疲労困憊していたので、S氏と中年紳士に労われた。

入道岳まで来ると、大分私の体力も戻ってきた。
新開道分岐手前で、中年紳士と私達は別れた。
既にゴンドラの営業時間は過ぎていたので、S氏も私も千本檜小屋に泊まりたかったのであるが、結局新開道を下り帰る事になった。
カッパ倉で、疲労でとろける様な腐れきった顔をS氏に撮られた。
カッパ倉を下り始めると、徐々に夕闇は迫りつつあったが、気温は依然として下がる気配がない。
夕闇に汗を拭いぬぐい、下山口に着いた。
ここから小1時間、八海山スキー場駐車場まで歩かなければならない。
二人とも疲労困憊の中歩いていると、スキー場のスタッフのバスが拾ってくれた。
夜の7時を回り、黒い闇が疲れを増幅した。
小出の町に着き、ラーメン屋のラーメンをすするが、今一食欲はなかった。
 越後三山縦走を終え、疲労だけが支配した。
しかし、私とS氏の中の昔のわだかまりは少なくとも消え、山積みされた夏休みの宿題を終えたような、そんな二人だったに違いない。

枝折峠7:00  駒の小屋12:00  グシガハナ分岐12:40  中の岳17:00
中の岳5:00  祓川5:30  入道岳13:00  大日岳14:00  山口二合目18:00  八海山スキー場駐車場19:30

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